2020.5.13 伊藤潤「茶聖」を開く

Panta : 伊藤潤「茶聖」を開く、早く読まねばと思いながら、なかなか機会に恵まれず、佐藤良明訳によるボブ・ディラン詩集と一緒に購入、読み始めたところ♬ 逸る気を鎮めるという茶を政治に利用したのは信長だという、第一章前のプロローグですでに嵐の中、茶室での利休の旅立ち、いきなりの衝撃にページをめくる手も憚れる、ルイス・フロイスなどの文献を調べねば確実なことは言えないが、明智光秀の娘、珠子が堺で耶蘇教の洗礼を受けられたのは利休の手配に他ならないという自分の持論を、早くこの茶聖を読み終え、伊藤潤さんにぶつけてみたいと思っていて、それは彼にも伝えてあるので楽しみでならない♬

Panta : 続:「茶聖」
いつぞや小坂忠と近所の名店で蕎麦を啜りながら、徐に彼が口を開くには、「Panta 、お茶の世界はキリスト教を基にしているんだよ」と言い出した、彼は近くで教会を営なむ?牧師としての顔もあることは知られている事実だが、狭き門(アンドレ・ジッド)をくぐり、主の下では皆これ平等であるということで、それを踏襲した織田信長の建てた安土城は天守閣ではなく天主閣として造られていたという、そんな話を聞きながらちょうど明智珠子が堺で洗礼を受けて、細川ガラシャとなるまでのミッシングリンクが自分にとって大きな謎であったところ、そうかと膝を叩きたくなるくらい大いに合点したものだった、そうか利休か、彼がキリシタンであったかどうかはともかく、堺でのキリシタンの組織に通じていたのは至極当然のことだろうと思わず忠の手を握りしめたくなったものだった♬ そんな経緯もあり利休と、のちにルイス・フロイスによって書き綴られ、ウィーンでオペラにもなり、マリーテレジアや嫁ぐ前のアントワネットが涙して観たというTango Gratia〜丹後のガラシャの物語が自分の中で繋がってくれた嬉しさを伊藤潤さんとの対話で確認したい思いでいっぱいなのだwww



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