泥中蓮華は未だ陽光を知らず

☆自作クトゥルフ神話TRPG内のPL:笹塚蓮の個別導入シナリオです。

この泥があればこそ咲け、蓮の花

そう詠んだのは誰であったか。
蓮とは澄んだ水の中にあっては花開くことはない。蓮華は泥中で育ち、尚も泥に染まらず美しく花開く。そして花開くと共にその実を実らせる美しく高潔な植物である。

その蓮は未だ泥中にいた。

笹塚蓮はうだつの上がらぬ日々を過ごしていた。
趣味であったはずの音楽は自分より後ろにいたはずの雪化粧のような後輩に追い抜かれ、楽しかったはずの音楽はいつしかノイズに覆われ聞こえなくなった。気づけば自分の音すら聞こえなくなり音楽をやめた。

思い出すのは普段は人一倍熱量を感じさせない端正な淡雪のような後輩のこと。高校のころ所属していた軽音部に自分より1年遅れて入ってきたその男は中性的な顔立ちで男女ともなく惹き付ける容姿に愛想はなく雪のように冷ややかな印象さえ感じた。
しかし、ひとたびギターを手にすると春が芽吹いて桜のように明るく笑う。

大学に入って楽しかったはずの音楽が周囲のくだらない諍いに掻き消され、逃れるように声を出してもただ虚しくどこの誰にも届かなかった自分とは違い、後輩はその後組んだバンドとともに頭角を現し始め今にも開花のときを迎えようとしているようであまりの差にモヤモヤと思考に雲がかかる。薄らとしてほの暗くいつまでも晴れない雪雲に苛立ちを募らせる日々が続く。

いつの間にか諦めてしまった夢から目を逸らし、かといってスッキリと切り離す踏ん切りもつかずズルズルと足枷のように残った未練に足を取られ定職に就くでもなく何かに励むでもなく、しかし生きるのに金がいるのでいくつかのバイトを掛け持ちし日銭を稼ぐだけの無為な毎日。

こんな今日があとどれだけ続くのかと無意味な自問自答を繰り返しながら気の進まぬ労働を終えて自宅へと辿り着く。

こんな状態でも国やら政府やらはあれを払えこれをしろとうるさく無視をすれば痛い目に合うだけなので見逃さないようにいつも通りにポストを確認してドアを開ける。

……いつもなら、そうしている。しかし、今日は違った。

ポストの中にはいくつかのチラシやらハガキやらと一緒にいやに目を引く真っ黒な封筒。

貰ったことは勿論ないが、物語に出てくるような何かの招待状というのはきっとこんな感じだろうと思った。
怪しげなその出で立ちはできることなら見て見ぬふりをしたい。しかし、自分宛のポストに入っているものを放置したところでなくなるわけではない。

蓮は意を決して闇を織り込んだような黒く豪奢な招待状に手を伸ばした。


蓮華は泥中に咲く。
何者にも染まらず美しく気高く。
しかし、泥中にある蓮の心を誰が知ることができるだろう。
泥土に染まり呑まれ朽ち果てる蓮がないと誰が言えようか。

果たしてこの未だ泥中の蓮は泥土に染まるか陽光を見るか。

その結末はまだ誰も知りえない。

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