EP物部来途:依然暗中、遠からん故に音も聞こえず


浮かばない。
あんなにも輝きを放っていたのに、今はもう。
渇いて焦がれて毎日、毎日ただ苦しくまとわりつくように暗雲が立ち込め続ける。見えない、あの頃いつも見ていた世界が。
それでも、憧れが胸を焦がして視界を覆って楽にさせてくれない。
手を動かして、脳を廻して、世界を生み出さないと……誰が追うでもないのに何かから逃げているのか追っているのかいつも息を切らして走り続けている。
ぼんやりと靄がかった遥か彼方の輝きだけがここに来いと自分を急かす。行き方なんてひとつも教えてくれないままで、いいから早くここに来いと。
漠然とした何か、何かがずっと跡をつけてくる。今どこまで迫っているのかわからないし見えない。でも明確に追ってきている。
自分から始めたこの旅ははじめはキラキラと輝いてこの道しかないと思っていたのに、いつしか寝ても醒めても居座り続けていつでも自分を追い立てる。
醒めない夢の中
醒めないでいてほしい夢の中
だけど、苦しい夢の中
走り続けて怠け続けて、まだまだまだまだ、まだ走る。寝不足で回らない頭、責め立てられるように絞り出した世界の欠片。拾い集めて重ねてみてもまだなんの形にもならない。

まだ醒められない……
夢の…
中…………………

………?

音がする
遠のく意識に誰かが語りかけてる
声が聞こえる
なんの、音……

目が醒める。どこかで鳥がないている。毎日飽きもせず朝に鳴く鳥たち。その声がご機嫌なのか不機嫌なのか、それすらわからない。
君の声は誰かに届いているのか?
俺は、届けられていると思うかい
返事を期待しない問い掛けは自問自答だ。
答えも自分はきっとわかってる。
でも、応えは返ってこない。それはきっと応えたくないから。
わずらわしい朝、希望みたいに澄み渡って晴れている。どこまでも続きそうなこの空は夢に似ている。どこまでも広がっているのに、ここから行き先は見えない。どう行けばいいかも方向さえもわからない。だけど迷いながら手探りでもとにかく歩き続けるしかない。理不尽なものだと思う。

やや暑苦しくなった中途半端な布団から身体を起こして今日の空を見ていると、意識を遮って音楽が聞こえてくる。
出処はテレビか。この電気代も値上がりして苦しい時分に昨日の夜から切り忘れていたのだろう。多少の後悔が目の前を横切って消えていった。まだ幼い頃に比べて随分痩せ細ったテレビの中で知らない誰かが知らない歌を歌っている。自分は自慢になるくらいには流行りを知らない。この歌手も歌も、もしかしたら世間では有名なのかもしれないが当然知らなかった。起きる前に聞こえた歌もこれかな……。と思いながらリモコンを手にして電源ボタンを軽く押し込み音が途絶える。

いや、違うかな…?
夢の中で聞いたあの音はこの歌じゃない。もっと夕焼けみたいな自分の心をつかむ歌で声ももっと自分の中に迫ってきた。
あの歌は一体どこで聞いたんだろう、誰が歌っていたんだろうか。些細な疑問だが妙に心に張り付いていた。自分はテレビは見ないがそれ以上に音楽を聞かない。どこかの誰かが作った音楽に勝手に心を当て嵌めて共感した気になって自分の新鮮な感情を消費するのがいやだから。100万人のために歌われたラブソングがあったとして簡単に心を重ねたりはしない。
だからこそ、夢の中で聞こえるような、しかし聞き覚えのない歌……どこで聞いたのだろう。
いつもなら朝起きた時から寝るまで頭の中に潜む焦燥が筆を動かせと早鐘を打ち続け常に先ゆく未来への不安で心を慌ただしくしている。この心を鎮める歌の正体は一体……と、最早体に染み付いてしまっているあらゆるものから思考の沼に入る癖を抑えてスマホを手に取る。
ロックを顔認証で解除すれば昨日の夜の続き、小説サイトのマイページ画面が表示される。
毎日毎日まだ足りないからと書き続けて、手当たり次第に文にして……複数抱えているアイデアや物語の中のひとつを試しにこういったサイトに投稿している。
試金石のつもりで、浅はかな期待を抱えて。そんな思いとは裏腹に残酷な現実が数字の体を成して表れている。元々無数の同類が毎日いくつもの物語を積み重ね紡いでいるので埋もれていると思えればまだ良かったかもしれないが、初回はそれなりに見つけてもらうことができたので間を置かず2,3話と投稿した。それだけで結果はもう出ていた。初回から2話までは微減、しかし3話になるともうほとんど見られてはいなかった。原因を探そうにも見る人がいないのでは誰も応えを返してくれない。初めの方に寄せられたコメントは如何にもな評論家ぶった偉そうで長々しい説教じみた文字の羅列や具体性のない称賛、物語を自分のものと勘違いしたのか指示を飛ばしてくる編集モドキ……と、何が正解か分からなかった。
今は両手で数えるほどのPVで誰が見ているのか最早見られているのか見られていないのかも分からないまま、惰性と走り出したからには止まれない感情の慣性でこの世界を描き続けている。掃き溜めのように積み重なった小さな山になってもわずかに1桁を乗り越えたたったの2桁の中で完結してしまっている。
暗中模索の深い底から、光に眩んで何も見えない白昼夢から、自分が這い上がれる日あるいはこの手を取って引き上げてくれるいつかは果たして訪れるのか。もう期待だってしていないのにそれでも分不相応な理想は片時も諦めることを許しはしない。

結局、珍しく穏やかな気持ちで始まった今日も記憶にない歌はすぐに彼方に薄れて消えて入れ替わりでいつもの仄暗い感情が瞬く間に覆いかぶさりいつもと同じ一日に変わってしまった。これが身の程知らずの希望を抱いた罰なら初めから教えてくれなければよかったのに。
どれだけ心は沈み込み潜り込もうとも時は止まらず日常は続き社会は回る。
無愛想で淡白な時計に急かされてため息混じりに重々しく朝の準備を整えると薄い玄関の戸を鈍重に開く。
まだセミも鳴かないうちから加減も知らずにフライングした初夏の朝日がジリジリと白んで責め立てるのを忌々しく思いながら濃く隔てられた影の中をふらりと歩いて行く。

彼にまだ音は届かない。停滞する思考も動き出せない閉塞した現状だって、すべて押し切って彼を拐う夕暮れを彼がまだ知らない朝の話。
顔を上げれば太陽はいつもそこに、暮れば伸ばした手が届くから……。
あと少し、彼が言葉を紡いで世界を変えてしまう前、誰も知らない前奏の物語。
まだ醒めない白昼夢を見ていた。

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