覚悟

M-1グランプリ2022の話。


今年もリアルタイムで視聴した。
去年はツイッチでリスナーさんと一緒に実況放送したのですが、錦鯉の勝ち名乗りがされたときに思わず泣いてしまった。

今年はメンバーを見て「ガチ選考だな~」ってのと「さすがに去年レベルの感動はしないだろうな~」ってのが率直な感想。
ただ、今年も勝ち名乗りの際、涙目になってしまった。

あの漫才に賛否両論あっていいと思う。
優勝したあのネタが、優勝したあの芸人が嫌いでもいいと思う。

ただ、自分の中で感動の引き金になったのが「覚悟を持った人間が放つ悪意には、相応の責任感がある」ということだ。


1か月くらい前、某実況者さんがGなんたらをしたことで炎上した。そして、その周りの人々も炎上した。その方々に集められる言葉には、正当性があった。やってはいけないことを責める。そこに間違いはない。

ただ違和感があったのは、当事者たちのアカウントに集まる意見が「捨てアカ」「裏アカ」「サムネイル初期アカ」からがほとんどだったということ。
そして、そのアカウントから放たれる言葉が、「皮肉」そして「悪意」にまみれていたということ。

どうして、自分の名前を出せないのか。
どうして、正当性のあることを言っているのに、正体を秘匿するのか。
Gなんたら行為を正当するつもりは一切無いが、何も関係ない野次馬からしてみたら、モヤモヤ感がただ募るだけだった。

今回の優勝ネタは、そんなモヤモヤとは正反対の、覚悟を決めた「悪意」だった。ターゲットとなった者の関係者を敵に回すことを厭わない。そして、悪口を言っている彼の外見や、過去に起きた出来事(開園事件)が、その悪意を「純粋なもの」から「ギャグ」に昇華している部分もある。プロの芸人だからできた「芸」だと思う。


それプラス、2010年代後半より「どんな小さな発言でも炎上させようとする」人も多くなってきた。現在では、著名人・有名人でない一般人でも、迂闊な発言をすれば簡単に炎上する。それは、配信者も例外ではない。

企画配信をする際「これは不謹慎なのかどうか」を考えることも多くなった。どこまでがセーフで、どこまでがアウトか。令和という時代は「グレーだったものを白黒ハッキリつける風潮」が強くなっている。そこに気を病む、発言に悩むネット活動者もきっと多いはず。


そんなせぜここましい世の中で、あの漫才を行った彼らを見て痛快な気持ちになった。優勝候補でもない、好感度も決して高くない。それでもコンビという看板を背負ってぶちまけた「覚悟の悪意」を武器に、しゃべくり漫才・コント漫才を打ち破った。

誹謗中傷はダメだし、不謹慎なことをやってはダメだ。でも、必要以上に色んなことを考える現在で「覚悟の悪意」で勝利を手にした2人が本当にカッコよかった。そして、なぜだか分からないけど、「人の悪口」が大嫌いな自分なのに、去年の錦鯉くらいに感動した。

「発言に全責任を持って悪意をぶちまける」

「なんだかなあ」と思っていた数々の事象をあざ笑うかのように、本当に痛快だった。


長々語ってしまいました。
それでもこの熱量を持っているうちに、伝わり辛かろうが言語化したいと思い、noteにしたためさせていただきました。


あらためて。

ヨネダ2000のお二人、優勝おめでとうございます。

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