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囲碁カフェ経営3年を振り返って

始めましての方もそうでない方もこんにちは。
カフェと囲碁ひだまりのMayuです。
囲碁カフェの店主をしています。

本日で3周年を迎えました。
昨年は盛大にお祝いしたので、今年は少し淋しい周年祭になりました。
といっても、お祝いを持ってきてくれるお客さまがいて、
嬉しい気持ちでいっぱいです。

3年という節目なので、この3年間を振り返ります。
正直に書きます。
お時間がある方は、最後まで読んで頂けたら幸いです。


人に恵まれた1年目

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オープンした5月は一人でした。
その時助けてくれいた前の職場の友人がいたのですが、
ちょっとしたことでもめて疎遠に。

不幸は重なるもので、店を作ると恋人とも別れがやってきて、
途方に暮れているところに、インストラクターとしてつかさが働いてくれることになりました。人生悪いことばかりではありません。

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実はその前にカフェの営業を手伝ってくれるアルバイトさんはいたのですが、長く働くつもりはなさそうだったので、人の問題には数カ月悩んでいました。

しかし、つかさが7月の中旬に働いてくれることになって、
それから今まで3年続けてくれて、人の問題で胃が痛くなることはなくなりました。
本当に感謝です。どこでもついて行きます。っていうその言葉だけで今まで頑張れました。彼がいなければ、辞めてたかもしれません。
それくらいお店を経営する人にとって、従業員の存在は大きいです。

一年目にはひだまり0期生(ひだまりから囲碁を始めたみなさま)も国内外の人含めてたくさんいらっしゃいました。
毎週夜囲碁という平日夜だけど囲碁やろう!イベントには、
同じメンバーが集まり、
そこにまた新しい人がきたりして、まるで学校のようでした。

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1周年のお祝いはフランス人のアレックスが碁盤ケーキを作ってくれました。泣けます。

わいわい騒ぐ毎週も少しずつ落ち着き、
2周年を迎える前には外国人の主要メンバーは帰国していきました。

私はお店を持っている側なので、常に見送る側のため毎回涙をこらえるのに必死でした。

今まではいい話。

1年目に気が付いた現実は、「囲碁」を商材とすることでいい面と悪い面があるなと気が付きました。

いい点は、すぐに覚えてもらえる。
その人の中に「囲碁」というアンテナがないため、私と会うとアンテナが立つ。

囲碁のニュースや看板を見ると、
囲碁を知らない知人がたくさん連絡してくれるようになりました。

悪い点は「囲碁」というだけで毛嫌いする人がいる点です。

お店を開けて5か月目に、お店を広めようと思っておおた商い観光展に出展しました。
6時間くらいいて無料体験をやっていたのですが、参加してくれる人は1日目が5人未満でした。
手伝ってくれた人にも申し訳ない気持ちになったし、
主催である産業振興協会の人にも「大変そうでしたね。」と慰められる始末。

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またその時サンプル品を配っっている業者さんがいたのですが、
ブースが並んでいるお店には全てサンプルを配布していたのに、
私のブースをみると「あ、囲碁か。じゃぁ関係ないや」と言って飛ばされました。

なんとなくいじめにあった気分だったし、みじめな気持ちになりました。
(後々この人は私がビジネスプランコンテストで優勝したら手のひら返したようによろしくお願いします!と声をかけてきたことも追記しておきます。)

そして、商店街の新年会では、とある政治家のかたに「囲碁?儲からないでしょーはは」
と言われ、新年早々嫌な気持ちになりました。

囲碁をやったこともない、ただのイメージでよくない風にとらえる人が世の中に多いなと思いました。

しかし、それって実は昔の私なんですよね。家業を継ぐ前の。
「お年寄りの趣味」としか思っていなかった。
だから、母の仕事を一切手伝わなかった。そのツケが今まわってきたんだと思ってじっと我慢していました。

しかし、世間の人の印象というのは大切です。
世の中の人が「お年寄りの趣味」と思っているものを、
どうやったら「めちゃくちゃ素敵でやらずにいられないもの。クールなものにできるか?」を考えました。(まだそこまでにはできていない)

だって嫌じゃないですか。
自分が命を懸けてやっている仕事が「世間から認められないもの」だなんて。
人それぞれ感じ方は違いますが。

そして、私はそれで食べていこうと腹をくくっています。
ならば、悪いイメージのものを良く変えるしかない!そう決めて、
ネガティブな反応をポジティブに変えていました。

そういう悪い反応をする人も含めて、人に恵まれた1年でした。

人気になって調子に乗った2年目

新聞

長原という辺鄙なところなのにたくさんお客様がきて外国人もきていい雰囲気の囲碁カフェ。
お店を作ったのは私ですが、本当は私の力だけではなく、
スタッフのつかさの頑張りや、お店をかわいがってくれるお客様のおかげです。

しかしながら、私は図に乗ったのです。

毎月取材が舞い込み、水曜日のダウンタウンで使われたり、
朝日新聞に掲載されたり、囲碁大使の戸島花さんに「理想の碁会所」と言われたり、ラジオ出演があるなど、
ただ珍しいから取り上げられたのに、鼻が高くなりすぎました。
それに加えて、大田区のビジネスプランコンテストで最優秀賞受賞。

その辺で謙虚さがなくなりました。
高くなった鼻は必ず折られます。

原因はわからないのですが、1年目の常連さんはほとんどいなくなり、
お客様の総入れ替えが始まる。
たくさんお客さまがきていた夜囲碁も、急激に人が減ったりして、原因不明に頭を抱えることに。

1年目と同じようにおごらず、謙虚さと笑顔でお店に立つべきでした。
そうできなかった心の弱さが、そのままお店に表れました。

売り上げは減少してお客さまは入れ替わったものの、
親身になって話を聞いてくれるお客さまが出てきたり、
「ここは直した方がいいよ」とはっきり言ってくれる人が表れたりして、
下がっていた売り上げも少しずつ上がってきた2年目でした。

2年目で印象に残っていることと言えば、商店街の街づくりに関われたことです。

表面001完成_1012-1

こども食堂をはじめたときに、商店街事務所の掲示板にチラシを貼りたいと申し出ましたが、一瞬で断られました。
なぜなのー!毎月払っている商店街会費はなんのためなの?!と思いましたが、地道に地域の活動を続けたところ、商店街の方がサポートしてくれるようになり、掲示板は使えるし、いろんなお店でこども食堂のチラシを貼ってもらうことができました。

こども食堂_フライヤー0720


もともと父がパン屋で商店街でお店をやっていたため、街とかかわることには興味がありました。
こども食堂をきっかけに商店街のかたとも親しくなり、
2年目で大田区の商店街の次世代のリーダーが集まる塾に参加させていただくことができました。

これがきっかけとなり、大田区中にたくさんの知り合いが増えました。
内装の困ったことは〇〇さん、音響で困ったことは〇〇さん、
この場所に詳しいのは〇〇さんなど、横のつながりが一気に広がったのは、2年目で一番大きかったことです。

大田区だけでなく、お隣旗の台の品川区にも知り合いができ、
この辺の人たちは知っている人。になりました。
街を歩けば挨拶できる人がいる。

ひだまりは立地以外はいいよね。
とよく言われますが、都心にお店をオープンしていたら、
こういうお付き合いもできなかったと思うので、今は長原でよかったと思っています。

2年目は図に乗って天狗になって鼻を折られて初心に帰る。
そんな一年でした。トホホ。

チャレンジだらけの3年目

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皆さんは自分の人生でこれが自分の役割なのかな?と考えたことありますか?
こういう話をすると「そんな生き方してるの疲れない?なに背負ってるの?」と頑張ることを否定されることもあります。

ですが、12年前にDJをはじめたあたりから、
私の人生のミッションは「挑戦できる世の中をつくること」と思って生きてきました。

なぜそんな風に思ったのかはいまとなってはわかりませんが、
そういう本を読んだり、周りに挑戦している人が多いから、私もそうなりたいと思ったのかもしれません。

お店もそうですし、音楽もそうですが。
私がなにかを表現することで、
挑戦できる人が増えたり、悩んでいる人の背中を押せたらいいなと思っています。

2年目の売り上げ減少を引きずりつつ家賃を頑張って更新し、
この先頑張らなきゃな、でも何したらいいのかな?
という時に、スーパー営業マンの友人にひだまりをサポートします!と声をかけてもらい、それから色々なことにチャレンジしてきました。

毎週イベントをやる。と決めて、いろいろなイベントを開催したのがこの半年くらい。
囲碁のイベントだけでなく、日本酒会、ジョージアワインナイト、
超ド趣味で始めた8ビットナイト、新春もちパーティーなど、
数えきれないくらいイベントを開催してきました。

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たくさんイベントを開催しましたがお客さまがゼロだったことは一度もありません。
挑戦しようとすると、「失敗したらどうしよう?」という想いが先行してでてきますよね。
まだやってもいないのに。

ですが、サポートしてくれる友人のおかげで、
失敗したらやり直せばいいや。と考えられるようになり、
色んなことにチャレンジができるようになりました。

3年で一番売り上げをあげられるかも?!
という矢先にコロナショックが起きました。

コロナショックが始まった2カ月前から今までは、正直記憶があいまいです。それほど大変な時期でした。
経営者としてどうするべきか、毎日遅くまで考えていました。

緊急事態宣言が発令されたあと、東京で開いている囲碁のお店はひだまりだけになりました。
囲碁=遊技場という枠になり、休業要請対象になったからです。

ひだまりは「カフェと囲碁ひだまり」なので、
カフェを必要としているテレワークのお客さまがいるため、
細心の注意を払って営業してきました。

しかし、以前のように囲碁のお客さまはいらっしゃいません。
一日2人とか3人とかです。
それでも週末に来て頑張ってねと応援してくれるお客さまがいたので、
心を強く持つことができて、時短でここまで休まずに営業を続けることができました。

スタッフとお客さまがいなければここまで頑張れなかったと思うので、
本当に感謝しています。

コロナショックでは悪いことだけではなく、いいこともありました。
Youtubeを思い切って始めることができたからです。
https://www.youtube.com/channel/UCVWbM9DkKNNSFITFwb4FVXQ?view_as=subscriber


以前からやりたいなと思ってはいたのですが、
自分が出ることが恥ずかしかったり、アンチコメントが怖かったりと色々と悩んでいました。

でもやってみると、挑戦してよかったと思います。
特に、海外にいて心配してくれる友人たちに元気な姿を見せることができたり、ひだまりを知らなかった海外の方に知ってもらうことができてよかったです。

また、自分の英語力のなさにも改めて気が付くことができたので、
これを機に本格的に勉強も頑張ろうと決意を固めることができました。


4年目は・・・?

明日から4年目が始まります。
正直、BeforeコロナとAfterコロナは同じにならないと思います。
囲碁はオンライン化が進みました。リアル店舗にどれだけお客さんが戻ってくるのかも想像できません。

今年、カフェと囲碁ひだまりは、
新生ひだまりに生まれ変わります。

しかし、変わらないこと。
それはどんな状況であれ、100年企業を目指して残りの年数頑張るということです。

私の祖父が碁会所をオープンしたのは55年前です。
あと45年、どういう形になるのかわかりませんが続けられるように頑張ります。

3年間カフェを経営してみて思ったこと。
それはお店をやっていようとやっていまいと、
100%自分の思い通りになることはなく、努力によってしか解決方法はないということです。

サラリーマンだった時も同じでした。
昇級したいと思ったら、人の倍働いて上司に認めてもらうしかありません。

バーテンダーだった時も、カウンターでシェーカーを振ってお客さまにカクテルをだしたい!と思ったら、
カクテルを覚える、人知れず作って味を見る、いい接客を学びに高級ホテルに行ってみるなど、他の人の倍以上努力をするしかありませんでした。

効率が叫ばれている今ですが、
簡単に手に入れられるものは、失うのも一瞬です。

逆にコツコツと続けた努力は、必ず実る日がやってきます。

同様に、お店の経営者として、
お客さまに愛されるお店作り、人格を磨かなければ、認めてもらうことはできません。
よくお店をやっていて、オペレーションが回らないと切れだす店長とかいますが、どんなにいい店構え、立地だったとしても、ソフトの部分がなってなければお客さまは来ません。

そのことを忘れず、
また、時代に合った価値をお客さまに提供できるように、
これからの日々も、後世に残る夢のある囲碁カフェ作りに励みます。

最後まで長文を読んでいただきありがとうございます。


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サポートして頂いた皆さまには後悔させません!