descente‐降臨‐ 第五話
「あれ?」
真矢は眼を覚ました。賢吾と取りとめのない話をしてたような記憶がある。将来の事、過去の事。覚えているのはそこまでだ。
「バスを待ってて賢吾と話してて……で、眠くなって、なんだよこれ。賢吾? 美月ちゃん? どこだよ」
奇妙に紅い部屋だ。一緒にいたはずの二人に姿はない。美月にかけてやった上着はすぐそばに落ちている。真矢は異常事態が起こったことを認識した。
「なんだってんだよ!!」
理解できないまま真矢は叫んだ。手の込んだイタズラではなさそうだ。不安が彼の態度を荒げさせた。
「ゲームのテーマパークか何かかってんだよ。俺はな、そういうガキ臭い趣味はしてないんだよ!! おい! 賢吾! 聞こえてるなら答えてくれ!」
真矢は激しく壁を叩く。が、答えは返る事はなく、拳が傷んだだけだった。
「……………………」
真矢は直感した。ここは異質な場所であると。理性はそれを懸命に否定している。異様に眠かったのは睡眠ガスのせい。猟奇的な犯罪者に誘拐された。どこかに隠しカメラがあって自分たちの反応を愉しんでるに違いない。そう理性は説得する。が、真矢は本能的に気が付いた。〝連れてこられた〟と。神隠しにあったのはバスではない。自分たちであるのだ。真矢は部屋を確認する。扉には鍵がかかり、部屋には燃え立つ炎のような赤い剣が置かれている。最早笑うしかない。この場所は常識で考えてはいけない場所だ。真矢は剣を手に取る。歪曲した刃は刺すには向いてはいないが肉を治療不可避に裁断するには丁度いいだろう。握る手から伝わってくる。この剣はただの武器ではないと。魂が剣に呼応し、肉体と精神の奥深くから真矢自身の力が溢れてくる。
それは上昇し、燃えあがる意志。真矢が生来秘めていた性質が現出する。
「何だこの剣は。こんな奇妙な武器なのに、なのに持った瞬間に戦い方が分かるなんてな。はんっ! 〝誘拐されたら最強戦士になってしまったんだが〟ってか? 俺にはチート能力があったって? 何のつもりかは知らないけど、俺にこんな武器を持たせたのは間違いだったな。喧嘩なら負けない。誰だか知らないけど、誘拐犯さんよ。上等だ!!」
部屋を漁る内にそこに置かれたいくつかの紙きれから、手に持った剣が持ち手の魂から力を引き出す魔剣であり、その代償が大きい事、そしてこの場所が魂に試練を与える場でありこの剣はその為のものであることを知る。選ばれたのだ。自分は。自分たちは、と言うべきか。だがその選別は地獄のような試練への招待状なのだ。
「嘘だろ。こんな事が起こるなんてよ」
我が城は無と生誕の狭間にあり。
産道の前、子宮の更に奥、最も無垢なる王宮なり。
此より生まれし我が世こそ真に聖なる〝世界〟
城は迷宮。迷宮とは暗冥より生命の光明へ至る道。我が城を訪なう者は心せよ。
汝らは死に、生まれおちるための我が城を歩む……
「なんだこれは」
部屋に置かれた気味の悪い言葉のメモの数々に真矢は顔を顰めた。美月と違い、オカルトにも宗教にも明るくない上にその手のものは本音を言えば好きではないのだ。
苦心の末、鍵を見つけた真矢は扉の外に躍り出る。部屋の外に広がる空間はあまりにも非現実的な迷宮そのものだった。まさしくゲームでよく見るような石造りの通路が枝分かれしながらどこまでも続いている。壁に掛けられた蝋燭が儚い明かりで照らす。光源はそれだけなのに十分に明るい。腹をくくるしかなかった。
「本当に異世界なのかよ。は、はは……こんな剣があるんだ、今さらか。で、選ばれし勇者の俺はどの魔王をブチ殺せばいいんだ? なぁ! 相棒?」
緊張でかすれた声で呟き真矢は剣を握る。自分が異界の勇者になったと本当に信じているわけではない。だが、今はそう自分に言い聞かせて鼓舞するしかない。
「待ってろよ、賢吾、美月ちゃん。今、助けてやるからな」
剣を手に迷宮に足を踏み出した真矢であったが、二人がどこにいるかはわからない。もうどれほど歩いただろうか。
「けっ、眠気も空腹もこない。流石は異世界ってか」
真矢はひとりごちる。どころか、気力は満ち、剣の冴えは次第に鋭くなってゆくのを感じている。成長しているのだ。
また一体、通路の影から躍り出た化け物を屠る。
「次はどいつだ!! 出て来いよ!!」
挑発する真矢の耳に悲鳴が聞こえた。少女の悲鳴だ。
「きゃあああああああああああああああああああああッ!!」
「この声は……美月ちゃん!!」
真矢は声のする方に走る。危惧したとおり、そこには化け物に襲われている美月がいた。怖気をふるうようなけだものじみた叫びを放ちながら化け物は爪を揮う。間一髪のところで避けた美月を、つぎは肉厚の掌で床に引き倒し、圧し掛かる。耳元まで裂けたような口からは牙がのぞき、舌が口元を舐める。優位を確認した化け物は咆哮しながら爪を今一度一閃する。
「いやっ! やめて!! ああああっ!! 痛っ、いたい……!!」
赤い血がスカートを汚すのが見える。嘲るような声を立てて、化け物は次は美月の心臓に狙いを定めて爪を振り上げた。その瞬間、真矢の視界が赤く染まったような気がした。真矢は声の限りに叫び、剣を握りしめる。
「美月ちゃ……美月ぃぃ!!!」
真矢のふるった剣がモンスターを斬り捨てその肉体を焦熱の力で灰にする。肉が焦げる忌まわしい異臭があたりに垂れこめた。真矢は己の力を確信する。強大な力が自らの魂に眠っていた事を。ここが異世界でこの剣が魔法の剣である事はもう疑わない。自分が伝説の勇者かはわからない。だが、この力はモンスターも斬り伏せる圧倒的な力だ。それはわかる。
「よかった……真矢先輩! 私、ううっ、私、怖くて……!!
美月は震えながら真矢にしがみついた。怯えた少女の甘い体臭が真矢の鼻孔を撫であげる。
「真矢先輩、無事でよかった……。助けてくれてありがとう。う、いたた!!」
美月は痛みに呻く。破れたスカートの端から赤い血が一筋、脚を伝っているのが見えた。「足、怪我したのか?」
「うん……。でも、真矢先輩があの悪魔の気を引いてくれたから爪の先がかすっただけですんだみたい」
「出せよ」
「え?」
「足の怪我! 今日つかったハンカチでよければ巻いてやるから」
「は、恥ずかしいから、その……」
「馬鹿! 血ぃ流しっぱなしでこんなとこ歩いてみろ! 同じような奴が血の匂いを嗅ぎつけて来るにきまってるだろ? あの化け物がどうかは知らないけど、野生動物と接するときの常識だ。ほら!! いいからそこに座って足を出せ!」
真矢は無理矢理に美月をその場に座らせてスカートの端を軽く捲りりあげる。彼女が言ったとおりに肌には赤い線が走っているが、その傷は深くはない。白い肌に赤い血。そのコントラストに目眩がするのを感じた。滑らかな肌だ。美月とはしょっちゅう接していたのに、こんな五感で彼女を感じた事は今までなかった。ここが異世界で、今が非日常だからだろうか。思わず爪の先が美月の傷口を掠り、美月は眉を寄せて呻く。
「本当は水があればよかったんだけどな。こんな場所にそんなのは期待できないか」
「真矢先輩、この剣……」
「ん? 剣?」
「真矢先輩の剣も閉じ込められた場所にあったんでしょ? 私のもそうなの。この剣、怖くて振れなかった……。せっかく持ってきたのに……」
「はぁ、お前は無茶するなよ。喧嘩だってした事無いくせに。いいか、ここにはどうも変な化け物がいるみたいだ。でもな、お前は無理に戦う必要なはいんだ。そんな剣、捨てとけよ」
「心配させてごめんなさい……。あ、でもね、この剣は攻撃するより誰かを癒す方が得意みたい」
美月は剣に力を込める。水の気配が一瞬あたりを漂い、裂けた肌がゆるく塞がっていく。
「この剣は生命樹の剣。水の力で傷を癒せるの」
「ははっ、なるほどな」
「聞いて、真矢先輩。私、閉じ込められている場所にあった物から私たちが何で連れてこられたのかを考えてみたんだけど」
美月は真矢に自分の推理を話した。
「私達は黒魔術の儀式の為に連れてこられたのかもしれないの。あの絵の〝王〟が何者なのかは、まだもう少し情報がいるけれど、ここに居たらみんなその王が復活するための生贄にされてしまうの! きっとあの化け物も、その黒魔術で呼び出した存在だと思う。まだ信じられないけど、でも、あれは現実にある魔導書にも載ってる低位の悪魔なの。多分なんだけど、私たちが生贄として相応しいか試す為に悪魔を置いてるんじゃないかな。この剣で挑めるほどの存在なら、魔王の生贄として適切だって。審判がどうとかメモにあったもの」
魔性の剣。悪魔。生贄。非現実すぎて目眩がする。なのにどこかで気持ちが高ぶっているのは悪魔の跋扈する空間では、自分の知識が否定されることなく活かせるからだろうか。「詳しいんだな」
「うん。そういうのは得意なの。……お兄ちゃんを探さなきゃ。きっと私たちと同じようにどこかに閉じ込められてるはずだもん!」
「待てよ、美月」
「えっ」
「ずっと、関係が壊れるのが怖くて! でも、もう止めた。俺は前に進むんだ」
もう一年もすれば進路は別れ、どの道、三人は三人でいれなくなる。漠然とそれが嫌だった。だけれど、このままではいられない。もうよくわかった。なにもしなくても、このままでいたくても、時間は進み、出来事は三人を襲い、三人ともいまのままではいられなくなってしまう。じゃあ、この手で変えるしかない。
「何を……」
真矢は一歩、美月の傍に寄る。美月は息を飲んだ。
「好きなんだよ! 美月!」
「え……?」
「賢吾の妹だからとかそんなんじゃなくて!!」
「そ、そんな事、い、言われても。真矢先輩はもう一人のお兄ちゃんみたいな……きゃあっ!!」
激昂した真矢は壁を叩く。美月は怯えたような眼で真矢を見た。彼は確かに気が荒いところはあるが、このような態度を美月にとったことは一度もない。尋常ではない。何か様子が変だ。美月は恐怖を感じながら真矢を見上げる。姿形は真矢そのものなのに。これは本人なのだろうか、それとも悪魔が彼の姿を模倣しているだけなのだろうか。分からない。
「なぁ、なんでだよ!」
「なんでって……。どうしたの? 真矢先輩、なんか変だよ」
「変? ちがうだろ? 俺はもう、隠す事を止めたんだ。怖かったんだろ? 一人きりでこんな所を振りまわせもしない魔法の剣を片手にうろつくなんて。なぁ、もう大丈夫なんだ。ずっと守ってやるから! 俺は! 賢吾よりずっと強いんだ。見ただろう!? モンスターを消し炭にしてやったこの剣の力! これは俺の力でもあるんだ。俺が生まれながらに持っていた俺の属性だ。この剣は炎! この剣は純然たる強さへの志向。銘はグロリオーサ!! お前と違ってオカルト知識はないけど、これくらいなら知ってるぜ。意味は栄光だろ。そうだよ! 誰にも負けないんだ。この剣さえあれば、ここに俺たちを監禁したクソ変態野郎を返り討ちにしてブチのめせるんだ! 何が復活だ。魔王だか何だかしらないけどよ、こんな所に監禁したおとしまえとして焦げネズミにしてやる」
真矢は剣を握りしめたまま美月のおとがいから腹へ柄の先を滑らせる。臍のあたりをねっとりと撫でられて美月は強く体を震わせた。
「処女の肉の祭壇? じゃあ、処女でなかったら、儀式の為の無垢なる祭壇の資格を失うってことだろ?
丁度いいじゃないか。な?」
柄はゆっくりとその下へ降りようとする。制止しようとした手首が強く掴まれた。炯
々とした眼差しが美月を射る。明らかに真矢は正気ではない。が、美月の腕力では真矢を止める事が出来ない。
「何を言ってるの。正気に戻って!! お願い……!!」
「最初だけ少し痛みに耐えれば気持ちよくしてやるよ。悪魔崇拝者たちの道具にされるよりずっといいだろ。こんなところに俺たちを閉じ込めて嬲っているような淫祠邪教だ。儀式とやらで何されるかわかったもんじゃない。〝肉の〟〝祭壇〟だとよ。それこそお前みたいな女はぐちゃぐちゃに切り刻まれながら内臓の裏まで犯されて抉られるのがオチにきまってるだろ!!」
「……………!!」
「それより俺を選べよ。優しくしてやるし、守ってやるから」
「いやっ! もとに戻って!! 馬鹿な事は止めてよ」
「もう、戻れないんだよ!!! 進むしかないんだ! 俺も! 賢吾も! お前も!!」「だからって……、だからってこんな!!」
「わかるんだよ、美月ぃ。ここは普通の場所じゃない。カルトのアジト? はっ、そんなもんでもないさ。信じないだろうけど、ここは異界だ。魔王が存在する世界なんだよ。だから、叫んでも誰も来ないぜ。お前の〝お兄ちゃん〟もな!!」
Written by @mososokko