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KENZOさん

10月4日の朝、突然のKENZOさんの訃報。
大きな悲しみと共に、お腹にずしんと重石を投げ込まれた様な感覚に襲われた。何処から来る衝撃なのか受け止めきれず、ただ大きな力に圧倒された。いきなり眠りから醒めた無意識のお化けに打ち倒された様な感覚だった。

KENZOさんの創造する世界。私にとって大きな存在だったのかもしれない。

蘇ってきた学生の頃の思い出。

当時、ファッションブランドの賑わい華やかだった渋谷界隈。その中心のひとつだった西武デパートの中二階にあったKENZOブティック。
アルハンブラ宮殿のパティオを囲むハーレムの小部屋みたいな、地上階から見上げると所在わかるけれど、裏口みたいな階段上がらないと辿り着けないちょっと特別な空間だった。到底買えるお金もなく、けれどどうしても覗いてみたくて勇気出して訪ねたKENZO。花柄や動物などの瑞々しいプリント生地のドレスやスカート、セーターなどのプレタポルテが飾られていて、どれも着こなせないし、高価な手の届かないものばかりだったけれど、お店で恐る恐る鑑賞するだけで本当に幸せだった。だから、私にはブティックというよりワンダーランドだった。
けれどある時、店頭に飾られていた小物が目に留まってしまった。スカーレットレッドとビビッドピンクのツートーンカラーのマフラー。今では驚かない配色だけれど、当時それは大胆なしびれる色使いで、可愛くて、欲しい!これなら買える、これなら身につけられる!って、お店に通っては悩んでを何度も繰り返し、遂に「KENZO」のマフラーを手に入れた。嬉しくて、大事にその包みを抱えて帰ったな。

どうしてあんなにときめいたのだろう?

手にしているだけで、KENZOさんの魔法のかかった色彩から喩えようのない温もりを感じた。身に付けるものにこんな幸福感を覚えた経験がなかった。
媚びなく、洋の東西隔てず、全ての民族文化を讃え、直に体験した地球上の生きとし生ける生命の息吹や喜び、優しさを大事に閉じ込めた様な、色彩の魔術師、KENZOさんの創り出す世界が本当に好きだった。

訃報を受け、きっとそんな小さな宝物みたいな記憶がお化けみたいになって、心の奥底から噴出してきたのだ。

KENZOさんのこともっと知りたくて、それからいろいろ検索した。

「彼は1970年代以降、女の子たちを可愛らしくした。何事にも純粋で、懸命で、真っ正直で、かわいい、優しい人。チャーミングで、永遠の少年みたいな人でした。いつも生きる喜びとか太陽に向かっていくようなイメージ。作品のイメージそのままの人柄でした」仕事仲間の鳥居ユキさんのコメント。悲しいよ。

若い人たちへのメッセージを、インタビューの最後に頼まれると、しばし沈黙の後、言葉少なに「努力することです」と答えていらしたお姿。そして座右の銘は?と問われると、「夢ですね」と潔く答えていらしたお姿。どんなものからインスパイアされるのですか?の問いについては「自然の創り出したもの、植物、動物、大地、海、何でも。それらが本当に大好きなんです。そして、みんなを驚かせるのが大好きなんです」と。

ファッション業界という華やかな世界のトップを走り続けた方。どの問答も、印象的で、圧倒的で、厳しくて、優しくてならなかった。
愛おしい気持ち。やさしい気持ち。楽しい気持ち。温かな気持ち。驚かせたい気持ち。そんなハピネス達を、目映く紡いだ色彩と共に服や小物たちに織り込められていたのだな。

どんな方だったのかもっと知りたい。KENZOさんの、そのお人柄のコアな部分にもっと出会いたい。

最後に、色について語られたKENZOさんの言葉を紹介したいと思います。

『本来、美しい色なんてものはないんです。なぜなら色は全てが美しいんだから。ただ色の組み合わせに美しいものとそうでないものがあるだけ。』

遅かったけれど、これから改めてもっと出会いにゆきたいと思います。きっとまだ、いろんなサプライズを頂けそうな気がしてなりません。

KENZOさんのご冥福を心よりお祈り致します。

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