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ぱんだるまの交換留学日記inデンマーク vol.241 ナショナリズムが生まれる社会

皆さんごきげんよう、ぱんだるまです。

今日は午前中から大学にいたのですが、一緒に課題をやろうと話していた友達に誘われて、途中2時間ほどバドミントンで体を動かしました。

知らなかったのですが、学部のキャンパスから歩いて15分ほどのところに大学と提携している公共の体育館があり、ラケットを無料で借りてバドミントンをすることができるのです。
コート代は少々かかりますが、複数人で行けばそこまで気になる程の値段でもありません。

突然のお誘いではありましたが、幸運なことにスキニージーンズと半袖Tシャツという運動に適した服を着ていたので、そのまま飛び入り参加しました。
他の友達はバッチリとスポーツウェアに身を包んでいる中、1人普段着で切り込みました。

正直これまで、スポーツとしてバドミントンをプレイしたことがありませんでした。
経験があるスポーツと言えばテニスくらいですが、こちらも部活に入ったりしたこともなく、テニスを愛してやまない父に誘われて、時々近所のコートにでかけるくらいです。

ラケット競技という点においては同じですが、その振り方の違いに苦戦しつつ、教えてもらいながら2時間、しっかりと身体を動かしました。

さてそんな運動を挟みつつ、本日深夜に完成して提出したショートエッセイは、Ethnicityに関する授業の課題です。
課題の内容は、フランスの哲学者、アーネスト・ゲルナーのナショナリズムに関する20ページほどの論文を3ページにまとめることです。

ゲルナーはナショナリズムの研究では有名な学者だそうで、特に彼の代表的な著書『民族とナショナリズム』は、日本語訳の単行本も出版されています。

今回の課題となっていた資料は"Nationalism as a product of industrial society"というタイトルで、産業化が進んでいく社会の中でナショナリズムは生まれてきた、というのが、資料の中でのゲルナーの主張でした。

彼は国家を「秩序を強制することに特化した機関または機関の集合体」と定義し、ナショナリズムが生まれるのは、この国家の存在が当たり前になっている環境下においてのみであるとしています。

また彼は、ナショナリズムを「政治的正当性の理論」と定義し、民族の境界線と政治的境界線は同一で、交わってはならないものであると書いていました。

こんな感じの情報を資料からせっせと読み取り、時にはまとめサイトやYouTubeの動画にも頼りながら、なんとかエッセイを書き上げて提出することができました。

いやあ、よく頑張った、わたし。
えらいぞお。

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