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「それをやってどう思った?」と自分に尋ねる話

朝からBLドラマを見て、「でたー!!主CPに対して思わせぶりな態度を取るけど最終的に本当にいい人なモブノンケ(尊い)!!」とか騒いだりする🍣

noteを書く時に、マジでどうでも良いことを書いて、寿司の絵文字🍣で締めくくるのは、それが日々の糧となる、なって欲しいからで、そういう誰からも理解されないことをついついやりたくなる性分である。

マイナーゲームの攻略wikiをサーバーを借りるところから始めてみたり、ポケモンバトルをすると最初にコイキングを出すところから始めてみたり、カードゲームで勝率の低いファンデッキを作って対戦相手に呆れられたりするところがある。

最近では鈴蘭の剣で低レアモブ全員を限界まで育てて、どこまでクリアできるかということをしている(全然進まない)。

そして、それをやってる時に、自分がどういう状態にあるのかを確認し、ポジティブなら続け、ネガティブなら即辞めるのだ。

小学生の図工の授業の時、俺は独創的なものを作るタイプの子供だった。大抵の教師は「何でそんな絵を描くの?」という評価をするのだが、たまに「どうしてその絵にしたの?」「それを描いて今どう感じた?」という方もいらっしゃって、自分が作ったもの、アウトプットしたものの理由や背景をつぶさに聞いてくれたのが嬉しく、それを考えることも楽しく、それによってすごく心地良かったから、今でも、私が下す私の評価は、私以外が下す私の評価よりも上におり、どうやらそれは、私の仕事仲間や友人に接する時に、「それをやって見てどう感じたの?」というコミュニケーションの礎になっているのではないかと思う。

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