じぃちゃんのおもひで④

祖父は学がなかった。貧しく、大家族の長男でもあったため、進学は諦めて若くして職業軍人となった。

戦後、帰還してなんとか職にありついたものの、学がなかった祖父はよほど苦労したのだろう。自分の息子、娘や孫たちには十分な教育を受けさせようと、小金を貯め、厳しく促した。

…厳し過ぎたな、今にして思えば。

厳し過ぎて、叔父や従兄弟たちは相次いで脱落…私と妹だけは、祖父の切なる願い「大学を出ること」を叶えた。

進学先を決めるときに、祖父の言葉が枷と感じたことがある。

幼い頃、祖父はよく私を膝の上に乗せては

「おみーはちゃんと大学を卒業するんだぞぅ」

と、酔っ払いながら言っていたものだ。

で、決まって

「東京六大学な!」

と。祖父が知り得る大学は、野球で有名だったその6つ(東京大学、慶應大学、早稲田大学、明治大学、立教大学、法政大学)くらいしかなかったのだろう。

祖父の死から6年経ち、大学進学を考え始めた頃に、「東京六大学」が大きな枷となった。

なぜって?私は単科大学に関心があり、総合大学に全く興味を示さなかったからだ。

6つのうちひとつは、3回くらい輪廻しないと入れなさそうな最高学府であり、残りの5つは、どれを取っても私にとっては魅力的ではなかった。

対して、私の志望校(=母校)は一応国立だし、昔の言い方をするならば旧一期校だし…でも、たぶんじぃちゃん知らない…。

既にこの世に無い人のことなど無視すればいいのかもしれないが、どこか後ろめたかった。祖父の希望を叶えてあげられる実力を持ちながら、それをしないことに。

でも、行きたくない大学に無理矢理行く方が、きっとじぃちゃんは嫌がる…

…嫌がるか?むしろ「六大学以外は大学じゃねぇ!」とか言いそうだが…

という葛藤を抱きつつも、結局自分が入りたかった大学に進み、修士まで修めた。ごめん、じぃちゃん。

この歳になって、女として、人として「学がある」ことが大きな武器であると痛感するようになった。

というのも、祖父を同じくする従姉妹が、先日離婚して、子どもひとり抱えて女手一つで生計を立てなければならなくなったのだ。だが、祖父の理念から著しく外れた生き方を選んだ彼女は、手に職も付けず、学もないまま現在に至る。40歳手前のコブ付きの無学の女性に与えられる職などたかが知れる。

一方で、私のように、国立理系院卒、営業職経験者は、正直転職先も選びたい放題だ。かなり条件も良い。

賃金格差=学歴格差

きっと、この社会の構図は、100年前からさほど変わっていないのかもしれない。

どんなに時代が移ろっても、変わらないものを、じぃちゃんは身をもって知っていたのだろう。

だから、遺される私たちに、ちょっと言葉が乱暴で説明が足らなかったが、伝えていこうとしたのだろう。

教育者となって、導く立場になった今、改めて祖父の苦悩と知るとともに、学ぶことの大切さを伝えていかなければならないと感じている。

いやしかし…

つくづくじぃちゃんの言うこと聞いておいてよかった。あんたは正しかったよ。

会わせられなかったけれど、私の伴侶の母校が東京六大学だから、そのへんで勘弁してもらおう。


#じぃちゃん
#格差社会



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