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50 獅子座の満月

雪が降りましたね。昨日の午後、一気にばさっと降ってくる雪に、わっと歓喜しました。
今日は雪が降った後特有の清々しい空気が漂ってます。この空気が春を遠くから呼んできてくれると思ってます。今年は少しだけ早いなあ。

今日は未明に獅子座で満月でしたが、どなただかが、「自分の“本当”の生き方がわかるタイミング」だと言ってました。


私、ここのところすごく下向きで、何が原因かわからない状態で泣き出したくなることが2日くらい一日中続いてて。

手近なところで理由を見つけようとするのは危険だなとなんとなく思って、原因探しを意識的にやめてたんです。

でもなんらかのストレスで病的に胸が苦しい状態になるほどまできたので、ポツポツと自分の今考えていることを言葉に出して聞いてもらいました。

今考えていることは主に3つです。
1つは、もう誰にとっても自分の価値観が一番大事で、自分以上に大事にするものはない、ということ。
もう1つは、それぞれ自分しかない世界の中で表現していくことの意味。
最後に、それで自分の身を立てたいという大きな矛盾への向きあい方、
です。


今までの世の中であれば、
まず全体性が一番大事だから「商品」というものが成立したんですよね。わかりやすいパッケージというか。ロールモデルとか、常識的な価値観とか、ノウハウとか。
これをしたいなら、これをやれ的なやつ。

でも私、それを一貫して徹底否定してきたんです。その姿勢は間違ってはなかったなと、時代が大きく変わっていくのを今まさに目の当たりにしながら再認してます。
(それをやってた当時はすごく叩かれたり嫌な目で見られたりしたものです)

ずっと私が追いかけているのは、何かを製作したり表現したりすること行為そのものではなく、それを成し遂げる時に掴んだり手放したりする感覚や感情体験の方なんですよね。

美味しいオムレツを作ることではなく、美味しいオムレツへの道を歩くことの方がよっぽど大事で、そちらの方がずっと自分の為になってくれるし、自分が生きていることになる、って思っていたというか。
だって美味しいオムレツが作れることが自分の存在意義だと、もっと美味しいオムレツ作る人が出てきた時に、自分の存在が否定されてしまいません?

自分にとっての大事なものを、一貫して師から学ばなかったんです。絵の勉強なんてしたことなかったし、日本史も正直誰かに習ったわけではなく、自分が感じることを大事に積み重ねていきました。(学校の先生の授業なんてろくに聞いてませんでしたから)見えない世界のことも、誰にも習ってないし、料理も自己流です。
何かをやるときに誰かに教えてもらおうという気持ちがもともと大変に希薄だったとも言えますけど。
ずっと自分の感じていることが、自分にとって一番大事なことなんだと思って生きてきました。我が強すぎるとすごく叩かれましたけどね。


そういう人間にとってこれからの時代はひどく生きやすい時代になるんじゃないかと期待する一方で、私のような考え方が一般的になった時に私のような人間の存在価値が薄まるのではないかと危惧してしまうのです。
でも希少価値だった時も、結局理解されていなかったので存在価値は大変に薄かったとは思うのですが。

時代が変わったくらいで私の人生の流れが突然良くなることなんてないのでしょうが(結局個々人の力以外どうしようもないからね)、
それにしたって、「自分の人生に於ける価値は自分だけ」の状態で、外側に向けて表現することの矛盾は、自分の身を立てることができるところまでいくのだろうか、
という思考の壁にぶち当たってしまって、先の世界に光を見出すことが難しくなっていたのです。

言葉にするとこんなにも長文でまどろっこしいことを、心はいち早くストレスとして感じ取って、私に忠告をしていたのでした。
ありがたい。

そんな話を私から聞かされた翌日、夫がこんなことを言ってくれました。

祥子は本当の表現者だと思う。
俺は商人だ。
表現する人はただ自分の心だけを見ていないといけない。受け手のことを考えて何かをするのであればそれはもう半分は商人だ。作った先のことを考えている。
祥子はそれをしない。純度100%で祥子でしかない。人の相談を受けている時もそうだ。祥子は相手に合わせてサービスをしない。自分の一貫性から絶対出ない。
俺も昔は表現する人になりたかった。でもできないとわかったから商人をしている。(以上、意訳含む)

これははっきりいって弔辞で読まれるレベルの「私という人間」の総括であり、私にとっては最高の賛辞でした。
横にいる人がそのように感じて理解してくれているのだから、私はもうすっかり開き直って、身を立てることなんて向こう岸に放り投げてしまえばいいのだなと。
これで身を立てられないのであれば、必要な社会的な仕事は必ずあるだろうし、これが私と社会を繋げる個性なのであれば、仕事は自ずと向こうから来るのだろうし、とにかく自分が生まれながらに持たされた個性に対して誠実な態度でいようと、そんなことを思わせてくれました。
今回の満月は、夫に産婆さんをしてもらいながら新たな時代仕様の私の本質を産み落とすことができたのではないかと思ってます。

そんなことを思いながら、年明け一発目の日本史の授業(大人向け)を行ったら、すごくうれしい授業の感想をもらって、
私が私として感じることを表現することが独りよがりではなく、でも誰のことも矯正するようなことはなく、ただそこにあるものとして意味を為すということを早速に感じさせてもらうことができました。

私という世界でただ一つの存在、そしてその周りにいてくれる存在全てに、感謝の冬です。


ありがとう。

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