94 逆らわない
今日は雨。
ジメジメしていてちょっと前の自分だったらうんざりしてたような天気。
歳をとって、季節の移ろいというものを知ったら、そんなに雨が嫌じゃなくなった。
雨は仲介者。季節と季節をつなぐ大切な。
今年の夏、1つ大きな体得があった。
汗をかきトレーニングによって、私はついに夏を味方につけた。
ずっと苦手だった夏が友だちになった。
熱中症ぎみになったけど、夏バテはしなかった。
しかも熱中症も、ベースの体調がイマイチだったせいでその危険にさらされただけで、そこまでおおごとにはなってない。
そこで思ったのは、汗をかくのが普通なのに人間の都合で無理にとめていたから不調に陥っていたということ。
汗は恥を忍んでかき切った方が楽。もちろんそこに到達するまでにクリアしなければいけない項目がある人もいるだろうから、簡単なことではないと思うけど。
夏を味方につけた私は、もう無駄な抵抗をするのはやめようと思った。
これが世にいう歳を重ねたということなのかもしれない。
我が減り、平和的になった。
今日は蒸し暑い雨の日だから、蒸し暑いなりの生活。
風があたる場所で、屋根のあるところにいることにする(出勤退勤時には自転車で少々濡れるかもしれないけど)
暑いからエアコンをつける、慣れてきてずっとつける、外気は高いのに身体が冷える、身体が冷えるから風呂に入ってあっためる、風呂上がりにあついからエアコンにあたる。
資本主義全盛期のイケイケの時代ならばこれは理解できるし、存続可能だろうけど、今は残念ながらその時よりも時代がすすんでいる。
自然に逆らいまくって身体は衰え、エネルギーは消費することしかなされてない。
結果、企業様以外は誰も幸せではない。お金は動くけど、命のあるものは衰えていく。変なサイクルだ。
電力が潤沢にあるという前提条件で構築された生活システムは、前提条件がなくなったら即破綻する。
前提条件はただの付加価値だったはずなのに。
同じ理由で、AIとかスマート決済とか、そういうものにも私は疑いの目を持ってる。
通信ができなくなったらどうするのか。それは付加価値であって、根本的ではないのに。
もちろんエアコンをはじめとする電力を必要とした全てのものを否定しているわけではない。でも、その生活と溺れる覚悟は私にはない。
いつでもこの身一つで生きれる可能性を持っていたい。
それを忘れると実際には何もできないのに、理論上何でも出来るという誤解をしてしまう。
そんなことを考えて、マンションの昇降を最近は階段でするようになった。
エレベーターが動かなくても生きていかれる自分になりたくて。
自分の領分を知りたくて。自分の身体を使いたくて。
電力も今年は本当に最小限しか使わなかった。去年と比べて半分近くに削った。これも自分の領分を知るため。
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