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#04 物乞いに会ったらあなたはどうしますか? -どぅー-

こんにちは!にょぎどぅー日記の「どぅー」です。にょぎどぅー日記は、ひょんなことからバングラデシュにしばらく住むことになった仲良し女子大生「にょぎ」「どぅー」の2人が、バングラデシュでの暮らしを通して考えたこと、感じたこと、学んだことを発信していきます。全く思考回路・性格が違う2人が、同じテーマをもとにゆるっと書いていきます。日本に住んでいたらきっと気づかない「日常の当たり前ではなかった当たり前」を発信することで、少しでもみなさんの世界が広がったらな、と思います!

今回のテーマは「物乞い」。日本ではほとんど見かけることはありませんが、バングラデシュでは声をかけられない日はありません。そんな物乞いに会った時に考えることは人それぞれで、「お金を渡すべきなのか」「いくら渡したら良いのか」などなど、答えのない議論が良く話題にあがります。今回はそんな物乞いに対して思うことを率直につづっていきたいと思います。

※ここで出てくる話は事実確認を取っておりません。参考程度にご覧下さい。

バングラデシュの物乞い事情

バングラデシュの首都ダッカでは、道を歩けば物乞いの方に声をかけられます。子ども、年配の方、障がいを抱えている方、小さな子どもとお母さんなど、社会的弱者として捉えられることの多い方々です。道端にはもちろんのこと、お店の前やリキシャの乗り降りをするところと言ったお財布を出すタイミングの場所によくいらっしゃいます。外国人に対しては特にしつこめに声をかけてくることも多いです。

実はこの物乞いはビジネスのようになっているのも事実としてあります。子ども達を集めて雇う形で物乞いをさせ、一種のコミュニティーを形成しているケースです。ある方によると、その元締めの方によって、毎日ごちそうが振る舞われてお腹いっぱいに食べ物を食べることができる環境で、物乞いとして働いているなんてこともあるそうです。

物乞いの方々は一日800-1000タカほど稼いでいるとの見解があります。ストリートで生活をしている人々にとっては、これはかなり十分なお金です。ミドルクラスの人々の平均月収が3万タカくらいとも言われていて、そこから家賃や光熱費などを支払ったら…。ストリートでもらうお金によって十分に生活が送れることがわかります。物乞いが一種のビジネスとして成り立っている現状が見えてきます。

物乞いに出会って思うこと

「物乞いの方々に出会ったらどうしますか?」

私は子どもには基本的にはあげないようにしています。というのも、外国人に対して手を差し出せばお金がもらえるという安易な考えを育てたくないからです。誰にとってもお金を稼ぐということは大変で、お金を手に入れるために必死に考えて仕事をしています。路上でものを売ったり、パフォーマンスでお金を稼いだりと出来ることはたくさんあるのに、外国人に向けて手を出すという最も簡単な方法を選択している彼らには「社会は甘くないぞ」と教えたいのです。一方で、路上でシールを売っていたり、お花を売っていたりと、消費者側の値段交渉にも耐えながら工夫を凝らしている子どもを見ると、応援の気持ちを込めて購入したりもします。

反対にご年配の方々に対しては少ない額ですがあげたりします。何とか今日を生き延びてほしいという気持ちを込めて。体力もそこまでないであろうご年配の方々がつける仕事など、人口過多なこの国にはなかなかありません。仕事が出来ないため稼ぐ術がない彼らに対しては自分の気持ちからおすそ分け程度を渡します。

ただ大事にしたいのが自分の気持ちです。自分があげたいなと思ったかどうかに自分の行動を委ねています。「子どもだから絶対にあげない」「ご年配だから絶対にあげる」と言ったルールにしてしまうと自分の気持ちを保つのが難しいです。自分があげたいと思えるタイミングに声をかけてきてくれた一期一会の出会いに感謝をして少しのおすそ分けをするようにしています。貰えた方はラッキーなのです。自分もその方に出会えてラッキーだったと思えるくらいのマインドセットを持っていると、物乞い社会でも楽な気持ちで生活ができるのではないかなと思っています。

現地の方の見解は 〜ダッカ大生〜

バングラデシュの最難関国立大学のダッカ大学の学生とディスカッションをする機会があり、現地の若者が物乞いについてどう考えているのか気になったため、インタビューをしてみました。

「物乞いに出会った時、あなたはどうしますか?」

いろんな意見が飛び交いましたが、関心したのが「食べ物をわたす」という意見。物乞いをされる方々の中には、もらったお金を使って薬物やタバコを買う方がよくいらっしゃいます。また、元締めの元で仕事として物乞いを行っている人にとってはお金こそがほしいものです。しかし本当にその日生きるので精一杯で、ご飯を買うためのお金が必要なのであれば、食べ物でとても喜ばれるはずです。

この意見をくれたダッカ大生は、飴や水などその場であるものをあげるそうです。しかし残念なことに食べ物だといらないと言われるケースも多く(その理由は上記の通りです)、物乞い社会の闇が浮かび上がります。

現地の方の見解は 〜元ストリートチルドレン〜

もうひとりインタビューをしました。元ストリートチルドレンの方です。彼自身は幼少期は村の方で生活をしていたので、物乞いの経験はないのですが、彼の友人で物乞い経験のある方がいたり、生活拠点をストリートから家へ移した今でもこの問題に関心がありNGOなどから積極的に情報収集をしています。

「物乞いに出会った時、あなたはどうしますか?」

彼の回答は、「障がいを抱えた方に対してはあげるが、それ以外はあまりあげない」とのことでした。なぜ障がいを抱えた人のみなのかと質問したところ、「自分は有難いことに手も足もあって、目も見えて、何も不自由していない。神様への感謝の気持を込めて」とのことです。

一方で彼は、物乞いビジネスの実態をかなり詳しく知っています。障がいのある方の方が多くのお金を収集できることから雇われやすいという実態も知識として持っています。しかし彼がそのビジネスに加担する理由は、物乞いをひとつの仕事と捉えているからだそうです。例えばお店で物を売ると、売上から会社の上位層へもお金が行き、実際に店頭で売っている人に入ってくるお金は、売上金のうちの一部でしかありません。それを物乞いシステムに置き換えて、一種のビジネスと捉えると、元締めにお金がまわるのは不思議なことではないのです。

彼はこの物乞いシステムの全体を知っているからこそ、彼自身の物乞いに対するアクションを選択出来ているのでは無いでしょうか。

最後に

物乞いに対する議論は本当に様々で、毎回議論をしては少しクリアになるものの、不完全燃焼で毎度終わってしまうほど複雑な問題です。今回は、私の仕事柄、インタビューの内容を交えて執筆してみました。日本ではなかなか考える機会の少ない物乞い事情。我々の日常が少しでも感じ取って頂ければ幸いです。

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