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傲慢と善良、感想


会社帰り、駅の本屋でみつけて一目惚れ、気づいたら買っていた。
※素敵な表紙とあらすじ文でした🌸

家に着いてご飯を食べ、その日の24時には読み終わった。
読んだ直後、ごめんなさい、1番最初に思ったことはあまり面白くなかったなと。
登場人物の誰にも全然共感できないし、話が間延びしていたし、オチも綺麗すぎて。

でもなぜこんなに世間の評価は高いのか。
なぜちょっとわたしはネガティヴに捉えたか、もやもやした。

夜中、Amazonのレビューを一通り読んで、適当に見つけた書評を読んで、YouTubeで2本の解説動画を見て、朝日出版&著者様の動画を見て、朝井リョウさんの解説をもう一度読んだ。

「謙虚で自己評価が低い一方で、自己愛がとても強い。」「ささやかな幸せを望むだけ、と言いながら自己評価額は相当高い。だからピンとくる(自分の値段と釣り合う)相手になかなか出会えない。こうした「傲慢」と「善良」が、同じ人の中に存在しているのだ」「みんなの中に架と真実がいる」


わたしはどうやら、この本の中核であるこのメッセージ、この部分がわたしには当てはまらないんじゃないか?という、もしかして「傲慢さ」を抱えたのかもしれない。



🔸


私は26歳で婚約した。
私の「ピンとくる」は評価額とかそんな話じゃなく、”波長”に「ピンときた」と思っている。

私の婚約者は私よりも年収も学歴も低く、おしゃれではないし、イケメンでもない。
モテてきたタイプでもないし、頭の回転も遅くてサラリーマン的な仕事は苦手なタイプだ。

私は社会と結婚するんじゃなくて、私自身の人生を創る。
だから、社会的にステータスが高い人ではなくて、一緒にいて楽しい人がいい、安心する波長が合う人がいい。
そう思って彼との結婚を決めた。

私はその人と私が持つ空気感、大袈裟にいうと2人の世界観が好きだ。
アプリで出会ったけど、初めて声を聞いた日に「しっくりくる」そういう気持ちになった。

話し方、ノリ、雰囲気。
そういう曖昧で直感的なことだ。

わたしが考える婚活というかパートナー選びは、前提条件としてお互い同じくらいの人生のステージにること。そして容姿が許容範囲であること。

あとは波長の問題だった。

年収や学歴、家柄、容姿のレベル、趣味嗜好、生活習慣、価値観、わたしにとってはその辺は別に対して重要じゃない。


🔸

では、なぜわたしが「傲慢」で「善良」か。

私は婚約者を「傲慢な」立場で見下しているかもしれない、とこの小説を読んで気付いた。
つまり、社会的ステータス=評価額の低い君を拾ってあげたと。

なのにそれを君と波長が合うだけだなんて「善良な」立場で綺麗事を言って、社会に対して、自分の行いを正当化しているだけなのかもしれない。

虚しい。
だからこの小説、”面白くない”だなんて傲慢に言えたものなのだろうか…。

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