俳号について 

俳号について坪内稔典さんのブログが話題です。


斯くいう私の「川嶋ぱんだ」という俳号についても、船団に私が参加している頃に、人伝で「坪内さんはあんまりいい俳号と思ってないみたいよ」と言われたことがあります。

改めて今回のブログの記事は、良い俳号、悪い俳号という観点で俳句の世界を見たことがなかったので新鮮な感じがしました。

坪内さんが書くように、名前に向かって進んでいくというのは、私にも実感があって、「ぱんだ」という俳号にしてから、お礼を書くにしても、原稿を書くにしても、朝、仕事で家を出るにしても遅く、何をするにしても腰が重くなった気がします。

高校時代には陸上競技の朝練のため5時に起きて、朝6時までの電車に乗って投稿していた頃と考えるとえらい変わりようです。

さて、話は俳号にもどりますが、坪内さんが次のように述べているのは、さすがの主宰的な振る舞いだと感じます。

よく言われることですが、人は名前に沿って、あるいは名前に向かって成長、変化すると言われます。その成長、変化とは名前の身体化であり、同時に身体の名前化です。微妙なのですが、先のような変な名前の場合、成長、変化が生じないのです。

私は大学時代の卒論のタイトルも適当につけたくらい言葉に対していい加減なところがあるので、人の心に刺さる俳句が書ければ名前なんてどうでもいいのではないかと思います。

だけど、坪内さんの主張は、ちゃんとした名前でないと、そもそも良い作品自体書けないということなのでしょう。

また今回つかわれた「身体性」という言葉を念頭に、子規のことを考えると、子規自身が結核で血を吐いていたことと、口の中が赤く見えるホトトギスの異名を掛け合わせたことがあったのは想像に難くありません。

ですが、人から俳号についてとやかく言われると「大きなお世話だ」と思うのも事実。また坪内さんの主張は、子規の論法と違い異論を許さずという感じがします。

まだまだ加筆するかもしれませんが、以上が、2023年7月の最後の日に、坪内さんから投げられた話題に対する私の印象でした。そして、坪内さんが角川俳句から作品ではなく名前だけを拾ってきたこともあり、坪内さんの意見に対する意見もあらぬ方向へいってしまいました。

俳号を巡る議論は数日経過してどこに収まるのか。興味があるかと言われると結論にはあまり興味がありません。

しかし、先人はどうやって俳号を決めていたの?というのも今回の議論から沸き起こりそうな疑問のひとつです。

ということで、芝不器男の場合を例に挙げましょう。

俳人「芝不器男」は本名であり俳号でした。

本名を俳号とする以前は「芙樹雄」や「不狂」という俳号を使っていました。それがどうして本名を使うことになったのか。そのことについて「天の川」主宰吉岡禅寺洞も次のように書き残しています。

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