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星野いのり「疼痛」を読む

星野いのり作品が文藝春秋に掲載されたことと、それに関するいくつかのTwitterでの批判があったことを人伝に聞いて知った。

その批判を敢えて引用はしないが批判が鋭さを帯びていないのは提示された俳句をないがしろにしていて、メディアや独自の認識表明のために作品が使われているからだと。

俳句が「駄作」というよりも深刻なのは評者が提示された俳句にかむかっていないことだと思った。星野作品についてどんな批判があるのかはご自身で調べてみてください。

蔦青し旧姓に押す訂正印 星野いのり
青蔦が茂っている。旧姓に訂正印を押して新しい苗字を書く。蔦の生命力と裏腹に蔦に茂られている風景はアンティーク感が漂う。蔦や旧姓や訂正印といった句材は旧時代に残されていくものとしての共通点で結ばれている。

捨てらるる音あかるしやラムネ瓶 星野いのり
瓶が集められているところにラムネの瓶を捨てる。捨てられるとき、瓶が瓶にぶつかる音が明るく感じられる。「音のあかるき」として繋ぐ方法もあったのかもしれないが、「や」で詠嘆を入れて切っているのにも関わらず、ラムネ瓶の描写の一物仕立てにしているのがこの句のミソ。焦点を音に持っていく効果があるのではないか。


さて、批判をしている人たちはこれら作品に何を見たのか。作品の提示の答えがいくつかの短文の繋がりでいいのだろうか。執筆から公開までの時差が少ない時代だからこそ作品を書くのと同じくらい批判批評が軽くなってはいけないのではないのではないか。価値基準に抗うための方法を間違ってはならない。

出典:文藝春秋digital

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