芝不器男小考①  世の中とユーモアを記す詩的文章の書き方。

大正9年から12年の間、芝不器男さんは松山高校(現愛媛大学)に在学していました。その頃の生活に関する手がかりになるものは多く残されていませんが、不器男記念館には1922年(大正11年)から書き出された「日記」があります。松山高校在学中はまだ俳句を書く以前でした。

この頃の不器男さんの文章を書く姿勢としては、コツコツと日々のことを記録するというよりも、自分の周りのことで、興味のあることや書き残しておきたいことを、書く意欲があったときに書くというようなものでした。なので、日付もバラバラ。いつ書いたものかわからないものもあります。

日記は人に見せるためのものではないにも関わらず、構成がたいへん面白いく、詩的な表現も多用されており、文学的嗜好が既に高かったことを窺うことができます。ちょっと引用してみたいと思いますが、不器男さんの日記については松山子規会叢書『不器男句文集』で読むことができます。

昨日までの雨で広見川はまんまんとふくれ上がつて居る。灰色がかつたウルトラマリンのはやい流れだ。板橋をわたればことこととかすかな下駄の音が僕の憂鬱を深くさせる。水の流れる音さへ聞えない。春の田をたがやす農夫の影すら見えない。仰げばにぶり切つた空が鋭く光つて眩暈を起させる。なやましい春よ!我が環境は灰色がかつたウルトラマリンの飽和ではないか。我が耳朶に響くものは單調なかすかなリズムではないか。ああ、この板橋は永遠の陪にみちびく大道ではないか。よし、いつまでも僕の耳にひびけいつまでも僕にこの道をたどらせよ。

『不器男句文集』

雨によって川が増水した日のこと。客観的な情報に主観的な把握を交えて記しています。目の前を流れる広見川の速い流れから春の物憂げな気分へと話は展開していきます。「なやましい春よ!」以降では文末表現に「ではないか」を多用してリズムを整えています。このように日記とは思えないようなしっかりとした構成。そして見事な展開をしていきます。

さらに続きを見てみましょう。

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