日々の機微(95) ティール組織の作り方と乙女ひととせ小論の所感



乙女ひととせチラ読み

同志社女子大学の人気講座「クリエイティブライティング」の1年間の成果として発行されている『乙女ひととせ』は、今号で第12号の発行ということで12年も続いている息の長い講座になりました。

すごくボリュームがあって一気読みが出来ないので、思ったことを都度書いていきたいと思います。

パッと開いてペラペラと捲っていて、私の目を惹いたの「(小論文)俳句的発想とは」でした。

こちらは大学のレポート的な課題だと思いますが、それをそのまま冊子の企画内容にしています。なので、「クリエイティブライティング」でどんなことが重要事項として教えられているのかが垣間見れます。

それで今回は読んだ2本の小論文に対して思った感想を書きます。

1本目は、和田明日香さんの「季語に託す」です。和田さんは俳句の中だけで言い仰てしまう俳句は「ああそうですね」で止まってしまうと言います。だから、季語のチカラを借りて、季語に想いを託すことを俳句的発想だと和田さんは述べています。

この季語のチカラを借りる作り方は、愛媛県内の学校指導でよくよく見られます。

これは、おそらく夏井いつき坪内稔典ライン(夏井さん坪内さんを慕っている方々)のなかでは基本的な作り方になっていて、その影響を強く受けている愛媛県内では、12文字フレーズ+5音季語という作り方は超超ポピュラーな作り方です。

さて、季語に託すというのは、俳句談義のジャンルではどこに分類されるでしょうか。私は「俳句の作り方」についての話をしているように感じました。たしかに、季語に託すは俳句の作り方として有効な手段だと思います。

しかし、私が船団に所属していた頃、船団に向けられる批判として、船団は「坪内稔典の金太郎飴」と言われたことがあります。それは、おそらくこの季語に託すという作り方を主体としている会員が多かったことが原因のように振り返ると思います。

季語に託すは、作り方として、昨今の主要な作り方のひとつになっている気がしますが、私の中では敢えて避けたい作り方になっています。

さて、この「季語に託す」に近くて少し異なる発想として「意外な組み合わせ」というものもありました。

それは、天谷桜子さんの「俳句的発想のヒント」のなかで述べられています。天谷桜子さんは季語のイメージよりも、さらに広い範囲で言葉が持つイメージを論の核として考えています。結論部分を引用します。

なじみのあることばの「意外な組み合わせ」は俳句的な考え方であり、それをいかに上手く組み合わせるかで人々が完全に理解できなくても分かる気がする、なんとなく想像がつく、ラインを見極めることは俳句ならではの技法だと考える

こちらは作り方ではなく、「俳句を作る態度」の話に近いように感じました。


そして、組み合わせのなかで大切なこととして、「なじみのある言葉」と書いてあったことに、非常に共感しました。私も日常で使っている言葉の意外な一面を発見できたとき、ささやかな喜びを感じます。

話はちょっと飛躍しますが、松尾芭蕉が「俳諧は三尺の童にさせよ」と言ったのも、子どもは言葉の意外な一面を見つけやすいからだと思います。

ただ、意外な組み合わせの「ラインを見極める」というのは、作家の書き切るという姿勢のようで、そこには真っ当さも感じますが、一句を自分のコントローラブルなところに置くということを示唆しているような気もしました。私は普段使っている言葉が普段の自分を越えてアンコントローラブルの範疇に入ったときの方が意外な組み合わせが多く、面白い俳句になるような気がしています。

過去を振り返っても、敢えてアンコントローラブルにするために、子規や虚子派の俳人は1題10句や多作多捨を推進していたように思います。

以上が今回読んだところの思った感想です。

ティール組織についての対話

四章限で考える資本主義社会

昨日はティール組織についての対話をしました。この話をしている最中にプラトンの実在論が出てきたのですが、プラトンを読んでいなかったので読まないとヤバいなと思いました。

さて、それで、昨日の対話で面白かったのは四章限に区切った考え方です。資本主義を中心に据えて以下のように四章限で人々の性質を分類するとこうなります。

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