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愛する旋律

いつかの恋心に再び火がついてしまう現象をよく、「焼け木杭に火がつく」なんて言う。

ずっと、ボックリだと思ってたのだが、ボウクイ=ボックイだそうで、まだ知らないことがいくらでも出てくる日本語は奥深い。

それはそうと、焼け木杭に火がついてしまったようである。

ここ最近のこの感情を言葉にするならなんだろう…と数日考えていたのだが、恋心、と言うのが1番当てはまりそうだな、ということで、焼け木杭な訳である。

人生で、私の「音楽の趣向」に影響を及ぼした人間が何人かいる。よく、14歳の頃に親しんだ音楽は一生の趣向に関わるなんていうらしいが、言われてみれば、今の音楽の好みの基礎は、中学の頃から変わってないなぁ、と思うわけで。

中学2年に上がったときに、同級生に少し不思議な雰囲気を持った子がいた。今も本名でアーティスト活動をしてるので、Kさん、としておこう。

Kさん(女性)は、いわゆる一匹狼タイプで、他者とつるまず、休み時間は教室で小難しい哲学本とか、当時流行ってた芸能人のちょっと深い感じのエッセイとか、当時全盛だった音楽雑誌とかを端から端まで読んで隠しネタのようなものを知り尽くしてるような感じの人であった。

私とKさんは小学校の学区が違ったので、中学2年に上がったときに、Kさんと初めて出会いを果たす。

彼女とは出席番号もかなり離れており、なんで仲良くなったのかは、今となっては微塵も覚えていないが、多分、共通の友人がいたからではないかと思う。そして、私とKさんは、気がついたら割と年がら年中一緒にいた。放課後もよく家に行き来していた。あちらがなぜ私を好んでくれたかはわからないが、私は、彼女の音楽の知識と技術と夭折願望に格好良さを見出していたと思う。(ちなみに彼女は元気に存命である。)

元々はピアノを弾く人だったが、家庭的な色々で、私と出会ったころには主にギターを弾いてる人だった。Kさんが私に与えた音楽的影響は多大であり、私にB'zとミスチルとカラオケと、“焼け木杭”の根源を教えた師である。

蛇足だが、私の音楽人生は、そもそも、ラジオ好きの親に端を発する。家には日がな一日ラジオが流れていて、ラジオが流れていなければレコードやらカセットがかかっていた。今で言う昭和歌謡、山口百恵とか中森明菜とか、あとは、THE ALFEEやCHAGE&ASKA、オフコースなどがよく流れてて、その辺りの音楽は今も馴染み深い。

そんな私の音楽世界に青天の霹靂をもたらしたのは、中学1年の時に、出席番号が前後だからという、大変あるあるな理由で仲良くなった美香ちゃんで、この人は結構ハードなX JAPANファンであった。
好きなものは布教するタイプだった美香ちゃんは、一曲で20分超の例の曲やらなんやら、片っ端から「イイから聴け、聴けばわかる」とX JAPANを私に聴かせ、私を、当時流行だったビジュアル系バンドの道へと誘っていく。X JAPANについては、追っかけるほどのファンにはならなかったが、曲は今でも好きである。そしてここから、GLAYやL'Arc-en-Cielにどハマりする高校時代へと続く。

話を中学2年へ戻そう。
そんな流れのど真ん中での、Kさんの存在である。

Kさんの最大の功績、あるいは愚行は、今日私の中に再燃した炎、TM NETWORKを私に教えたことである。

功績という面では、今も大好きでいられるユニットを教えてもらった。アニメのCITYHUNTERで流れていたあの大好きな歌を歌った人たちを教えてくれた。
愚行という面では、教えてくれたのが「Nights of The Knife」という、TMN終了のラストシングルだったということである。とはいえ、Kさんは何も悪くない…タイミングが合わなかっただけ…だけだけど、モヤモヤをどこへぶつけたらいいか分からない(笑)。

初めて買ったCDアルバムはTMN final live LAST GROOVEのライブ盤であり、つまり、すでに終了した後にハマっていくという、思い出せば出すほど非常に悲しい展開だったのである。

TM NETWORKに関するものは、少ないお小遣いを駆使して、時には親を口説いて買い漁り、当時発展途上だった今や有名なレンタル屋へ通い詰め、小室さんの特集記事や音楽哲学など読み漁り、音楽番組は録画しまくり、その後へ続く小室ファミリーへもまんまとハマって行ったわけである。

またしても蛇足だが、私は、線の細いメガネ男子が大変好みであり、いや、逆で、小室さんが好きだからメガネ男子好きなのでは?というくらい小室さんの見た目も好きであった。特に誰も必要としてない情報だろうが、今まで好きになった人や付き合った人もみんなメガネ男子だった。そこに、ピアノを弾けるという条件が加わると120点花丸である。ちなみに、なんの条件もなく、ピアノやキーボードを弾ける人を全員尊敬している。鍵盤を弾いてる様子は永遠に見ていられる。そのくらい、小室哲哉という人は私の人格形成の大切なところをがっつり担ってるわけだ。

Kさんは、そんなことは本人はつゆ知らないと思うが、気づけば人生の半分以上好きな音楽を私の中に植え付けてしまったわけだ。

さてさて。しかし、小室ブームも収束し、globeのライブこそ何度か行ったが、色々と困難もあり、著作権問題があり、TM30周年の時に「20年経ったTMは本当にTMなの?」とか手をこまねいてるうちにまた活動終了、と来ての…小室さんの引退である。

その時は、そうでもなかった。味方するわけではないが、真実を知っているわけでもないし、揉めるのは当事者たちの問題なので、私は1ファンとして、「小室さんだしな…」と思っていた。それによって特に小室さんを嫌いになることもなく、どこかでせめて幸せに…と思ってた。

が。

2019年から2020年にかけた、この35周年という節目に、にわかにTM NETWORK周りがざわついている。

小室さんが数年ぶりにメディアにチラ見せされていたり、何より、ファン投票やら過去のライブの総集編やら特集やら…30周年に触れ損ねた分、もうずいぶん離れていた時間を取り戻すかのように、そしてこのステイホームも手伝って、全てしっかり見てしまった結果…

その後、どうにもこうにも、いろいろ観終わった自分の中に「虚無」な感じがある事に気付いた。

触発されてTMの曲をDLしまくったが、聴くとどうにもこうにも、胸がグッとなる。いちいちグッとしてては仕方ないのでステイホームで音楽を聴くことが多くなった仕事中に聴かないように心掛けているが、油断していたら昨日のラジオで、篠原涼子の「愛しさと切なさと心強さと」が流れてグッとなる。グッとなったのは、あの歌は、小室さんのコーラスがしっかり入ってるからである。

今風に言えば、完全に「小室ロス」。しかも、未来に活動があるかどうかも全く予想のできないロスである。引退というワードはなかなかに重い。福山雅治が結婚したときのロスなんて、活動してる分いつでも見れる希望がある。何でもない。

私にとっては、小室さんの欠けたTMはTMではない。ウツの声があっても、木根さんが微笑んでても、それでは足りない。小室さんがいる三角形こそが、均衡の取れたTM NETWORKなのだ。

火のないところに煙は立たない、と言うことで、なにがしかはあったのかもしれない。だが、小室さんを追い込んだアレとかアレは、本当に猛省していただきたい。小室さん自身も反省する点があったのかもしれないが、それを追い込んで良い権利は誰にもない、いや、あるとすれば当事者らのみで、外野が騒いで人の人生をねじ曲げるなんてあってはならない。もちろん、第三者の1人である私はその点の個人的な真実を知る由もないし、知る気もないし、どんなに好きでも他人のことだから100%理解は絶対にできない。しかし、いつか立ち直って、また三角形の頂点となって欲しい。

先日、コロナ禍で延期になっていた、SONYミュージックのYoutubeチャンネル、TM NETWORK 12時間生配信がついに決行された。その1週間前には、日テレプラスでも11時間放送が行われて、36周年に食い込んでしまったが、TM NETWORKの周年で盛り上がることができた。

いつかの昔と違うのは、Twitterなどで、ファン同士が世代も居場所も超えて盛り上がれたと言うのは凄かった。こんなにも今もファンなのかと本当に驚いた。中学のころ、TM NETWORKの活動が終了した後は、私の周りにいた人は誰も、その存在を知らないかのようになってしまっていた。今はそんなことはない。今回、SNSがそれを証明してくれた。

いままでの周年は何事もなくスルーしてきたが、今のこの世で、沢山の要因が重なって、手が届くかもしれないと思ったことで、焼け木杭に火がついてしまったわけだ…。

ただ、小室さんはいつか、「僕から音楽をとったら何も残らない」と言っていたように、なにやらちょっと動きを見せている感じがある。TM NETWORKの30周年の物語は一度終わっているが、小室さんの「新しい音楽を生み出してみんなを驚かせたい」という気持ちを信じたい。

というより、信じないと、TM NETWORKと現実に会ったことがないことが悔やんでも悔やみきれない。

現代の世で、クモの糸よりはもうすこし丈夫な糸の末端を持って、大好きな音楽と共に、心の小さな期待の火を絶やさずにいきたいものである。




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