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セーヌ川の朝【STFドラマ祭ver.】

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小春・心の声

風にひらめくセーラー服の赤いスカーフ。
高校の教室で、頬杖をついている片腕。
セーヌ川の朝。

それらは、春の始まりを思わせる日差しを含んだ風を受けて、窓際に座る私の視界に映っているもの。

今は美術の資料集にそって、先生が私の耳には届かない言葉を発している。

おそらく、授業内容は日本画のようだ。

机には、高校生活で開くことが数えられるほどになるであろう美術の資料集。
私が眺めているのは、まるで授業内容とは関係がない、クロード・モネが描(えが)いた『セーヌ川の朝』。

その絵画が表すもの。
それは、夏、紫色のベールがかけられた夜明けを漂わせる空気、生い茂る木々、静寂な川。

モネについて、私は何も知らない。

細かい字で書かれたモネの説明を、私は読もうとも思わない。

ただ好きだと思うものを、一人で見ている。

一人で見ている、はずだった。

不意に、レースのカーテンがいつもより柔らかくふくらんだ。

前の席、男子のプリントが机から舞う。

それを拾うために彼が席を立つと、広がる私の視界に小さな絵画が映った。

彼も見ていた、同じものを。

同じ時、同じ空間、それぞれの意志で。

ただただ眠りを誘うかのような朗(ほが)らかな春の日差しが、きらきらした光の粒子になって目の前を流れる。

先生
「じゃあ、もう後は自習で〜」

小春・心の声
突然降りかかった先生の声に、猫だましをくらったかのような感覚に陥った。

時計の針は、チャイムまで後5分。

いけない、いけない、彼はきっとたまたまそのページを開けていただけ、何を期待していたんだか……。

瞬(しゅん)「なぁ、小山」

小春・心の声
目線を上げると、前の席の彼が片腕を椅子の背もたれにかけ、こちらを見ている。

小春「な、何」

「もしかして……、いや、勘違いかもしれないけど……小山もそれ、好きなの?」

小春「セーヌ川の……朝……?」

「うん……ずっとそれ見てる気がしてさ。授業の始めに、プリントまわした時から」

小春「え……、うん、好きだけど……」

「あ……そっか……!俺も」

小春「え!」

「俺も、なんかさ、好きなんだ……、授業中ずっと見てた」

小春「へぇ……そうなんだ……!」

「いいよな、心が静まるっていうか……」

小春「うん、ずっと見てられる……」

「それ」

小春「うん……!」

「でも俺……、これよりも、もっと好きなセーヌ川があるんだ」

小春「もっと?」

「ちょっと……、資料集立たせて。携帯、先生に見えないようにして。画像あるから、見て欲しいな」

小春「資料集っ、そんなあからさまな」

「あの先生やる気ないから、だいじょーぶっ。ほら、見て。セーヌ川の朝は連作で、モネは何作も同じタイトルで微妙に違う絵を描いてるんだ、これ」

小春「え、ちょっと、顔、近いよ……」

「ん?」

小春「いや、何でもない。どれ……」

小春・心の声
私と彼は、わざとらしく立てられた資料集の陰の中で顔を近づけることに。

意味のない緊張を出すまいと、小さな画面に集中する。

すると……そこには、また、新しい朝が存在していた。

夜が明けたばかりの夏の朝、深い緑の森に包まれた静寂な川。

空、そして水面に映るのは、生い茂る木々からのぞく滲んだ橙(だいだい)色の日の光。

小春「……うん、いい」

「いいよな」

小春「ひろしま美術館所蔵か……。日本にあるんだ」

「行けるな」

小春「え?すごく遠いよ。広島なんて行ったことないし」

「こっちよりはマシだよ、授業中ずっと見てた方のセーヌ川」

小春「ボストン美術館……、ほんとだ」

「な?広島、全然行けるだろ」

小春・心の声
どういうわけだかわくわくして、この至近距離でつい彼と目を合わせてしまった。

私たちの心の高ぶりを、誰がなぞることができるのだろう。

この教室に、この学校に、一体どこの世界に。


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小春・心の声
歩みに揺れる栗色の髪。
ひろしま美術館の中、いつ触れてもおかしくない二人の手。
セーヌ川の朝。

「夢……、叶ったな。小春の」

小春 「え?これ、私の夢だったの?」

「だってこの春、何のために広大(ひろだい)に入学したんだよ」

小春「何のためって……ほんと、冗談みたいだよね。今、目の前にあるこの絵をさ、ずっと実際に見てみたくてさ……。それが、本当に広島大学を目指すきっかけのひとつになっちゃったんだもんね…… 」

「ほんとにな……、俺ら、そうゆうとこあるよなぁ」

小春「ふふっ。だから、私の夢、っていうよりは……、二人の夢、じゃないの?」

「……恥ずかしいやつ」

小春「だ、だってー!」

「うーそ。……そうだよ。……俺にとってはさ……こんな風に、自分と同じように心を動かしてくれる人って……本当にいないんだよ」

小春「……うん!私も……」

小春・心の声
私たちは今、爽やかな木々に囲まれるひろしま美術館に足を踏み入れ、彼の言う夢に辿り着いたのだ。

ただそこに在る、一切の世界の音を水面に閉じ込めて朝霧にしたかのような世界。

息を呑む、鼓動の音、惹きつけられる、二人、共に。

ねえ、私、教室で気持ちを分かち合ったあの日から、ずっと嬉しいんだよ。

あなたの背中の向こう側、開かれた美術の資料集に、小さな絵画をこの目で捉えたあの日から。

きっと出会う前から、二人でずっと、同じものを見ているの。


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小春・心の声

次第に薄まってゆく濃紺の世界。
両の手で包むマグカップから立ちのぼる、カフェインの香りを含んだ湯気。

小春「セーヌ川の朝……」

小春・心の声
まるで生まれたてのように新鮮な、つんと冷えた、湖(みずうみ)沿いのキャンプ場の空気の中。

目の前に広がる景色に、思わずあの絵の名前を口にしていた。

生い茂る木々が囲む明け方の湖、遠くで日の光が橙(だいだい)色に滲み始めた。

そして、20年前の光景がよみがえる。

柔らかくふくらむカーテン、舞うプリント。
背中の向こうに見える、資料集の小さな絵画。

資料集から見上げた目線の先に、前の席から私を振り返り見ている、彼。

菜々「セーヌ川の朝って何なの?」

小春「あ……!菜々ちゃん、起きて来たの?ふふ、お母さんの独り言……、聞こえちゃったのね。えっと、セーヌ川の朝、ね、うん、『絵』だよ。外国の人が描いた、絵の名前。この景色がその絵に似てて」

菜々「ふうん……、あ!トイレ行きたい!」

小春「ふふっ、まだ暗いけど、一人で行ける?」

菜々「うーん……あ、お父さん起きてきたんじゃない?一緒に行ってもらう!」

小春「うん、いってらっしゃい」

菜々「お父さーん!一緒にトイレ行こーっ!」

小春「あなたー!お願いね!ありがと!」

菜々「ねぇ、それとさー!お父さーん!セーヌ川の朝って知ってるー?」

小春・心の声
視線を湖に戻すと。
そこにはもう、「セーヌ川の朝」を思わせた瞬間の光加減は存在せず。

お父さん「何それ。知らないなぁ……映画か何かかなぁ」

小春・心の声
私は無意識に目を閉じた。

菜々「えー?」

お父さん「それよりさ、菜々ちゃん!朝ご飯のホットサンドの中身なんだけどさ!お父さん、とっておきのもの用意してあるから」

菜々「え!何々?!教えて!菜々、早く食べたい!」

小春・心の声
そう、あの頃私たちは。
出会う前から、想い合った時、離れた後も。
二人でずっと、同じものを見ていたの。

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