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母方の祖母が亡くなったらしい

だいたい全てが終わってからの連絡が母から来た
小さいころ以降まるで会ってない親戚たちからは
会いたいと言われてたらしい
ほぼ全てが事後で全てが「らしい」で終わった

気を遣ってくれたんだとも思う、香典も処理してくれていた
いつもどこに居るかが分からん両親はたまにそういう事をする
全容を把握できず結果だけ来る形は普段なら怒る所でもあるけど、
自分の親が死んだ長女に対してあれこれその子供がガアガア言うのは最悪だ
今回は努めて怒らないように、事務的にならないように返事

3通程度で事は済んだ

少し寂しい気もするけれど、ドライな気持ちがすぐに沸いたのも事実で
親族という額の中での自分という存在が確実に透き通り始めてる事を体感している
それでいいとも思っている、迷惑と珈琲さえ掛けていないのなら

稼業を始めて親の死に目を看取れない覚悟が決まっている
別にそれは仕方がない事だと思っている
けれど少し気持ちに靄がかかる
でも覚悟ってなんだ、今回のケースは優先順位を遅らせる事なのか?
今となっては別ステージに上がってる分そんな覚悟もう必要ない筈
その辺がまるで自分の中でアップデートされていない事に気付く
少し哀しくもなるけれど、またドライな気持ちが浮かんできた

ところで弟はコンタクトを取って動いたんだろうか
不義理な子を持つ親にさせてしまっただろうか

集合写真を後から送ると追送が来て、考えるのを終わらせた
父が恐らくカメラを人間たちに向ける立ち回りを想像したあたりで
大過なく過ぎる事が想像できた
死んだ父方の爺の写し絵みたいになっている父
撮られるのを嫌がっていたのに撮る側になっている事が未だに不思議
そういう心変わりもあるんだろう、きっと
状況で変わっていくことなんてよくある話


父親宛でレターパックが届いた
中身は香典の領収書と海苔、死亡届と死亡診断書に集合写真

写真から弟は行ってなかったのが解った
成長した思い出せない顔が大半を占める
透ける気持ちが加速する、でも諸々は大丈夫そう

添えられた手紙はなし、恐らくは処理されたモノから
「後の事はこうする」という教示、手本をくれたと想像する
ただ、領収書に意味を別の意味を考えてしまう
代行ありがとう、と入金したらいいんだろうか
多分そういう事は望んでいないだろうがそんな事が頭を過る
海苔じゃなくて一筆箋付けてくれよ
仕事でやってただろ俺の父親なら

ただ
こちら側から何か送った最後を考えてみたら
いつか気まぐれに制作物をポンと送っただけだ
また、絶妙な気持ちになる
こんな子供だとそうなる事もあるかもしれない
いや、これはこっちの怠惰
悪者にして悪かった

あれこれ文字にしてくれたその時は
頭が子供だったから道導をくれてたと考えると
何となく嫌な方の気持ちは咀嚼出来た

バンドマンからサラリーマンになった弟と
仕事の流儀みたいなのを嬉々として話していた事を思い出す
元々真っ向から嚙みついた哲学や流儀だったけれど
どこかのタイミングから俺はサラリーマンしか解らないと
こちらには仕事哲学を一切話さなくなった

トップ下の流儀とトップで動く考えや流儀は方向性が違う
ただ書籍にはない、バイアスのない
生きた経験のデータはもう少し欲しかったかなとも思う
こういう所がきっと生意気だったんだとも少し
今ならもう少し怒ることなく賢く立ち回れると思うし
引き出す事も出来る筈なんだけど
どこかの山中で動物を追いかけ続けてる人に対して
わざわざ今更そんな事を聞く事も無粋そうである
そんな事より母に対して何かケアが出来ればと思う反面
あんまり浮かばない事の方が問題な気がしている
まあ伴侶が元気そうなので大丈夫かとも思っている
高校から家を出てる奴なんだから
若干の余所者感がいつも残る

血縁についての感覚が年月経つにつれ薄くなるのは
単純に離れていたり会う機会そのものが薄れたから
そんな風に納得させていたけど
結局自分が遠ざけ気味にしている気もした
少し眩しすぎる


そのうちふらっと墓参りでも行こうと思う
そういう気持ちは残っている

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