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収録を終えて、メモを記載するようにした
作品になった後、同じ傾向の音にしたいと思った時
そこに辿りつく迄時間がかかるのは時間の無駄だと改めて思ったし
最近は竿から音の入口からDIから、選択肢が増えてしまったから

思えばライブ先の会場メモや、
公演の度にアンプセッティングのメモなんかも書いていた
実際の出音はPAさん次第にはなるけれど指標にはなった
いつから書かなくなったんだろう
経験に頼りすぎて「いい感じ」をやり過ぎた気がする
自分の出音は論理で説明、証明したいと思うけど
全部がどうでも良くなる位「いい感じ」が便利だ
本来なるべく丁寧でありたい、それが後になって返ってくるから

手に書いて記載するって事は記憶にも結構結びつく行為で
今こうして書いてるタイプしているものも
どんどん忘れていっちゃう、後で見てびっくりするときもある
電子書籍もそう、見ながら忘れていくから不思議
やった気、分かった気になってるだけなのかもね
結局手法はアナログな事ばかりで、それを反復出来るか
そこに帰着してしまうのはもうどうしようもない事なのかな
手触りの暖かさが好きだから、以外の効果効能がものすごく大きい
だがしかしとても面倒くさい、面倒くさい事は実になりやすい

そんな訳でセッティングノートを書く
ところで、ノートの使いみちって人それぞれだと思うけど
どうしてるんだろうみなさん
人様の手帳を見る機会なんてほぼ無いと思うけど
個人的にはデスクダイヤリー的に使っていくのが
一番自分には良さそう

日常のあれこれは全部googleが何とかしてくれる
google頼りになっちゃうのはなんてろみたいな話も
便利には勝てないね
結局なんでも便利は正義

あれ?いい感じになってるんじゃねそれ
なんでも丁寧って難しそうね
掛けられる所だけでもがんばろうね

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