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350円のチューハイを一杯99円にして来客を仰ぐ店
手書きの看板から恐らく個人店
食事は一般的な価格レンジ
立地で恐らく苦戦している事が見て取れる
昼なので酒を飲むことは頭にはなかったけれど
応援したい気持ちもある反面、手書きの文字から
少しの不安が沸き立って放流した
食べたいものが行方不明なのにお腹がめちゃめちゃ減っている
結局、味は知っている調理ほぼオートの定食屋に入った
店の中は雑然としていて、肉と野菜を入れておけば勝手に混ざる鍋
勝手に味噌汁が出来上がるディスペンサータイプの機械
ご飯も当然定量が機械で測られてそのまま器にぼろぼろ入っていく
知ってる癖に失敗した気持ちになった
いやおいしいよ、おいしい
けど、合理化されているものをそのまま見せつけられながら
食べる食事は飼料を食べてるのと同じ気持ち
石田徹也の画集にも牛丼チェーン店の描写であった
見たい人は燃料補給のような食事で検索したらいいと思う
おいしいんですけどね
せめて上手に隠してほしいなと思ったけど
機械化されてるのがウリにも少しなってるから見せてるのよね
実際初めて見たときは楽しかった
食器や箸やカップにお金を掛ける意義が
マジで金がない時は生きるのに必死で1mmもわからなかったけど
ほんの少しだけ選べるようになった今ならわかる
食事の情報は見た目と口当たりでだいぶ変わる
ちんまりした割烹とかフレンチとかが正義って話じゃなくて
同じ原価、同じ見た目の料理を紙皿とコンビニのプラスプーンで食べるのと
白磁の皿に適度にボリューム感のあるシルバースプーンとを
店で食べ比べたらきっと満足度が全然違うと思う
なんだか小生意気なやつになっちゃったのかもしれない
けど、松屋や吉野屋もちょっと調子にのったらすぐ千円越えの世界
抑える時、一人の食事なんて心配されない程度の最低限でいいけれど
出すときや相手ありきのおもてなしの時は考えたいなと思う
安くおいしく出してくれる所は有り難いから
そこら辺のバランスは本当に難しいんだけどさ
ご飯って楽しい筈なのにすごくかけ離れた無機質な感じがするのって
残り何回食事が出来るんだろうって逆算したら
結構勿体ない気がしてしまう
なんだろ、合理化に対して総体してクオリティが下がって感じるのに
品質は一定、値段だけ上がってる感じが気に食わないのかな
サービスが欲しければ金を払え
って、鉄則だしそれでいいとは思うんだけど
末端の部分がどんどん擦り切れてる感じってことなんかな
手作りの暖かさだとか柔らかさや
相手を想って作る気持ちがを全方位にいつも100%は当然難しい
ただ、メカニカルな処理をされているの事を受ける度
自分のサービスは今どうなっているんだろうと思い直す
チームで動くとどうしても末端にまで思いが行き届く事も難しい
それがパートタイマーなら猶更
そこも回避すべく水準以上の金銭をお支払いして
販売しているものもサービスのレベルも上げるとなると
必然的に安くすることも難しい
安いと分かっていて支払うなら
安いなりの質感に文句を言うべきではない事もそうね、そう
ただ渡す側になった場合「顧客は大切である」事を
どこの部分に見せる事が出来るだろう
大切な人に対して大切なサービスをしたいとき
メカニカルで合理的な事を見せるだろうか
取り合えず鉄板で喜ぶ確率が高いからと
ありきたりなブランドのありきたりなモノを
東カレに出てきそうなレストランで渡すだろうか
それそのものが悪い事でもない
ブランドの「分かり易さ」の大切さも理解できる
けどそれは仕事の面で楽なだけで
ただ処理してるだけにも思ったり
逆に、大切な人に喜んで貰いたくて
分からないながらにもあれこれ探して
その人がいつか欲しいと零してた
ティファニーブルーのボックスを鞄に忍ばせている
とかだったらスポットで見るとルートは同じでも
話として全然違って見える
気持ちがどれ位入れ込めて伝えられるかっていう所を重視したい
けどそれこちら側の趣味趣向な訳で相手がそれを望んでいるかは分からない
一緒に喜んで一緒に楽しく過ごす事が出来るケースもあれば
ああ、よろにくですかぁ。プレゼントはヴァンクリねはいはい
値段ググりますか、あ?こんなもんすか私の値段
みたいな事も板一枚挟んだ向こう側から聞いたこともある
ま、そこはでも相手を選ぶ選球眼だわね
ぱっと見高そうに見えるのは素材をよく見る
これは笑顔や所作や会話の流れも一緒
値札の無い後者は特によく見る
色んな考えが巡る
食事が終わった
答えはしっかり頭の中では出ていて
トレーを片付けて戻す
大切の形を再考するいい機会、と考えれば
燃料補給のような食事でも、そのお陰で頭が回って
そういう風にはしないようにしようね
が出来るいい食事だったのかも
ごちそうさまでした