日記 240731 伝統とは、継承とは

最近『伝統と継承』について考えることが多い。
原因は明確で蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブのせいだ。

作中のヒロインは、金沢の伝統工芸や文化を大切にしたい。先人たちが遺した経験と知恵の結晶を『そのままの形で』遺したいと言う。実現性の可否はともかく、素敵な心構えだと思う。
なんか偉そうな物言いだが、かく言う私自身は伝統とは対局の位置にいる。目まぐるしく発展し進化していく技術に置いていかれないよう食らいつく必要がある。常に変化が必要とされている。
だからか、古来から遺された寺社や仏閣、端的に言ってしまえばバカでかい木造建築物につい安らぎを感じてしまう。変わらないこと、変わっていないこと、その形が長い年月を経ても維持されていること。そこに木の安らぎが付与されて、『落ち着く』と感じる。

蓮ノ空では、代々受け継がれてきた『伝統』を3つのユニットで『継承』してきている。そこには伝統の衣装と伝統の曲、有形と無形の伝統が存在する。これまでストーリーでは衣装についても、曲についても言及されてきたが、その起源、震源地についての言及は今回が初めてであった。今まで点で感じてきたラブライブの時間的な連続性が急激に深まったのである。
今年に入ってから『逆さまの歌』など微かな連続性を感じることができた。『逆さまの歌』が伝統曲である『Reflection in the Mirror』へと変化し、『Reflection in the Mirror(104期 New ver.)』へと変化するにあたり、伝統とは?継承とは?と新たな問題提起がなされた。本当に作り上げたかったのは、この時間的な重厚感のあるストーリーだったのだと思い知らされた。

さて、百生吟子さんは今回この『伝統』と『継承』に思い悩むことになる。元の形を維持すること。それを後世に引き継ぐこと。それが彼女にとっての『伝統と継承』であった。しかし、眼前に伝統衣装として存在していたのは修復不可能なボロ布だった。それは彼女が誇る伝統技術、加賀繍の技術を持ってしてもだった。どんなに優れた技術でも、時間的不可逆性には逆らえない。そのことを痛感することとなった。

伝統とはなんだろう。

伝統とは「共感の集合体」だと私は思う。伝統の衣装となるにはまず、誰かにその衣装の素晴らしさを共感してもらう必要がある。伝統の曲となるにはまず、誰かにその曲の素晴らしさを共感してもらう必要がある。そうやって、共感がだんだんと広まっていき、そこに時間というスパイスが加わることで伝統へと昇華するのだと思う。
今ある伝統工芸や伝統舞踊と呼ばれているものは共感を生まないことには始まらないものであった。加賀繍、友禅染め、金箔などだって、その美しさに大衆が気付くことによって初めて伝統となるスタートラインに立ったんだと思う。

さて、一度広まったものは文化としてその時代を席巻する。しかし、そこに時間的な連続性がなければ一時的なもので閉じてしまう。後世に伝える必要がある。そこで次の疑問が生まれてくる。

継承ってなんだろう。

継承が1番難しい。なぜなら文化的な側面で言えばその時々の時流というものがある。物理的な側面で言えば、物品は風化し腐り落ちるのを待つだけである。寺社仏閣を眺めていて思うことがある。今見ているこの建物は本当に当時生きた人たちが見た建物なのだろうか?と。今思いを馳せたのは昔を生きた人たちへのものだったのだろうかと。一種のテセウスの船である。

継承とは変化することなのだと感じている。そもそも伝統も生ものである。時間が過ぎれば腐りゆくもの。伝統それ自身が変化を好んでいるのである。だからこそ、彼女が思い知らされたように変化を受け入れ、そこに自分が思う『良い』方向へ変化をつける、そのファーストペンギンになる。それが継承というものなのだなと感じた。

彼女は『月夜見海月』と言う答えを出しました。
伝統と継承を重んじる彼女がどんな変化を起こしてくれるのか、これからも静観したいと思う。

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