[掌編]沼 - Moss -
もうじき冬の終わる朝、私が夢から覚めると自分の身体の各部分が様々な種類の大小入り混じった虫たちに替わっているのに気がついた。
夢から次の夢に移ったのかと思い、しばらく目を閉じて待ったのだが依然として同じ状況は続いてた。
諦めて身を起こそうとすると、力を込めた部分を構成する虫たちがパニックを起こしたようにざわめいた。
見た目におぞましく感じ、思わず身体を止めた。
シャツの袖から伸びた腕は巨大なバッタの胴体に見える。
手を広げると5本の指がそれぞれシャクトリムシやナナフシのような細長い虫が、見かけだけはヒトの手を形作っているけれど、よく目を懲らすとそれぞれが微かに動き出そうとしてるのが分かる。
ふと剥き出しの脛を見ると両脚も同様にカマキリの腹らしきものがふくらはぎをかたどり、足の先はその三角の頭に五つの小さなセミの幼虫が生えている。
見えない輪郭は人体の形の縁取りがありつつ、個々の部分は独立した虫の身体が外側に出ようとしているようで、自分の肉体のそこかしこで痛みとも痒みともつかない何とも落ち着かない感触が生まれている。
両手と両脚の様子を見て気付き、洗面所に向かった。
鏡の中にある顔は人間の顔をしつつ、よく見ると騙し絵のようにはめ込まれた無数の虫が顔の形に組み合わされていた。
両目がカブトムシの幼虫がはめ込まれ、鼻はタイコウチ、両耳はガのサナギらしきものがとりつき、唇はトンボのヤゴが上下で重なり開くと歯の並びの代わりにカナブンかカブトムシの光沢が銀歯のように並んでいた。
額も頬の部分も名前も判然としない虫の身体でわずかに動き出そうとしている気配がそれぞれにある。
短髪の頭もよく見れば短い剛毛で覆われたカブトムシの背中が後頭部を形作っていた。
正視しかね、鏡の前から下がりシャツをめくり着衣の下を確かめると、やはりそこにも虫の形があった。
座り込んで考えた。
見た目の異様さは、まるで勢いで全身に隙間なく虫の刺青を施した男のようだ。
耳無し芳一には経文の文字の墨以外に、地肌の出ている余白もあろうというのに、完全に虫のかたまりになっている。
アルコール中毒者の見る幻覚で皮膚の下に虫が蠢いて表に湧いて出てくる……などという凄まじいものがあったらしいけれど、生憎酒は普段から飲んではいない。
明らかに一つ一つの虫の大きさは実在の虫の体長とは違い、デタラメな大きさでどの縮尺も狂っている。
虫の形づくるの手の指先で自分の顔に触れようとしたが、静電気が走ったかのような鋭い痛みがあり思わず離した。
個々の虫たちが互いに拒み合っているかのようだった。
それぞれの虫たちがお互いに離れようとしているのに、この人間の形に収められて閉じ込められている……。
しかし自分の身に起こったことは何なのだろう。
多分……これは「アルチンボルド現象」と呼ばれるものだ。
16世紀、ミラノの宮廷画家のジュゼッペ・アルチンボルドの描く肖像画のように、人の姿に見せかけていて、よく見るとまるで顔や胴体が別の動物や植物、物などに置き換わっている、という特殊な現象だ。
しかし考えてみれば、人間の肉体が別のもの……別の生物に変化するなんていうそんな馬鹿な話はあり得ない。
するとこれはきっと逆の話なのだ。
自分はこれまで一人の人間だと思って生活してきたのだが、実際は偶然、虫が人間の姿形をして見せていたもので、錯覚だったわけだ。
どうも周りの人間も自分も含めて長い間、大きな勘違いをしていたものなので、これは仕方ない。
自分は虫の集合体だったという現実を受け入れざるを得ない。
それ以上に今考えるべきは、この身体の部分部分の虫たちが今、私の意思通りに動いているのは半ば睡っているからのようで、これが目覚めたらちょっと大変なことになりそうだ、どうしたものか。
自分の中の虫の知識を動員して考えたが、この都会の中のアパートの一室は、虫たちには向いてないのは明らかだった。
私はぎこちなくも自分の身体を動かして身支度を整えて旅支度を始めた。
冬服のコートで全身を覆い、サングラスとマスクでどうにか顔を隠した。
ニットキャップで頭を包むと、ほぼ全身が隠すことができた。
財布や鍵だけを持ち、自室のドアを施錠して駅に向かった。
季節が冬とはいえ、不審者としか言えない見た目で歩くのは勇気が要ったのだけど、別段見とがめる者もなく、最寄りの駅から電車に乗ることができた。
何より恥ずかしがるべき「自分」など、本当はどこにもいない。
しばらく乗車して移動していると、電車の中の暖房と厚着のせいか身体がムズムズしてきた。
通気性が悪く汗でもかいたのかと思ったけれども、それは身体のそれぞれの虫たちが活動を始めようとしてるのだ、と気がついた。
冬がもうじき終わる季節の温度で、長い睡りから目覚める時期が間近に迫っていた、ということのようだ。
ここで起きてしまったら大変だ、この車内だけはどうにかこらえて欲しい、と真剣に願ったのが通じたのか、乗り換えも含めて乗車中はどうにか抑えたままでいられた。
東京の端の郊外まで乗り継ぎ、緑の多い町の駅に降りた。
利用客もまばらな駅から降りると、そのまま山の方に向かった。
住宅地からわずかに入った林道の先に、目指していた沼がある。
自分の身体を構成していた様々な虫たちの中には水棲昆虫もいるようなので、どこに行くべきか考えた末に決めた場所だった。
他の虫たちも雑木林などに紛れて生き延びることもできそうでここで正解だった、と思った。
……飼育し損ねて、密かに野山に生物を遺棄する身勝手な人間と同じだな、と頭に過ぎったけれども、叱られるべき自分はそもそも消えるのでそこは勘弁してもらいたい、と苦い気持ちになった。
歩き続けて雑木林に囲まれた沼の縁に到着した。
全身を覆った着衣を外そうとしたが、その前にその下から幾種類、幾匹もの虫が這い出て来た。
水の中や木々を目指すもの、それぞれが生き生きとしてコートの下から抜け出していった。
同時に、ヒトの立ち姿も次第に崩れて、コートやズボンが抜け殻のようにその場に落ちていった。
水際に残された人の着衣一式は、まるで入水した痕跡のように見えるだろうな、と私は思った。
暖かい春が近づきつつある、ある一日にそんなことがあった。
(2023年(令和05)09月11日(月))
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