[短編]テクスチュアの果てから
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かつてその街は時刻ごとに色を変えていた。
太陽と月が巡らない空の代わりに、どこからかやってくる光が照らし出す地上の色彩、強まりそして弱まる光次第で色調を移り変わらせた。
昼と夜は、この光のあり方次第で分けられていた。
明るい光の下の昼間と、黄昏の熾火が燃え尽きてやってくる夜は、ある一定の時刻で移り変わる明るさによって区別されていた。
そうして夜の先、次の朝がやってくるまでの全くの空虚の闇に、街と街に住む人々は眠りよりも深い闇の中でただ凍りつくだけなのだ。
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私の名前は(おそらく)リカルド。
これが本当に付けられた名前なのか確かめようが無い。
私自身がそう思っているということは、そう名付けられているということなのだろう。
白いスーツの上下を着て小ぶりの鼻眼鏡をかけ、街を逍遥する初老の男が私なのだ。
ただし人間じゃあない。
一体の、木彫によって削り出された人形だ。
あなた方が思うよりも強く、私自身、私がこうして観察し・知り・考えている状態が不思議で奇妙で信じられない。
私自身は紛れもなく人形で、頭の中にクリームのような脳髄など入っていない紛い物のはずなのに、何故かこうしてものを考えているらしいのだ。
人形は人形として作られて、まるで本物の人間のように象られ、生きて感情をもっているかのように見せかけられても、本来は心も魂も無い筈だ。
かろうじて、精巧な科学技術によって製造された計算機が人間の持つ「考える力」をなぞることは出来るかもしれない。
だが、それが幾ら人間に近付けられようとも、そこに心や魂があるとは限らない。
あなた方がこの私の頭を割って覗いてみたところで、そこには計算機どころか何も見つけられないだろう。
この街の、私の巡る範囲のうちでも、数多くの人形と肖像はある。
そしてこの街にいる人々は皆、様々な素材で作り出された人形であり、平面に描かれた画の肖像である。
私はその中の一つだが、私と同じように思考を持つ人形がいるのかどうかは分からない。
私たちは人形同士、コミュニケーションをとる振りをしてはいるのだが、それはこの街自体が持つ精巧な機構が生み出す大小のイベントなのを私は知っている。
街は、合板やボール紙を切り出し色紙と絵具で彩色をされた書割である。
建物のシルエットには窓がある、あるものは手書きの線描の絵として、或いは四角く切り出してくり抜いたものとして。
窓の中には人影がある、動くことはないが、彼らも確かに私たちと同等のこの街に生活する住人なのである。
私たちの足下には滑らかな布地が貼り巡らされていた。
色こそ敷石や土を連想させる赤茶や黄土色だが、布の材質は良いものできめ細やかな織物でつくられているのが分かった。
街の地面には幾つもの溝があり、その溝の下の奥までは見えない。
不規則に交錯した溝には鉄製の棒が滑り、その先端に挿された自動車や馬車、歩行者と自転車乗りが往来の風景を作り出していた。
速度違反も事故もなく、いつも通りの街の光景としてそれらは動く。
それは不規則や不定期を装いながら、厳密な計算で何度も繰り返されていた。
それと街にはいつも音楽が流れていた。
郷愁を誘うギターやフルートの音色が(明かりと同じように)どこからともなく流れてきた。
あなた方も多分、そこにいたらきっと聴こえていただろう。
私たち人形には鼓膜は無かったけれど耳は作られていたから、音楽を聴くことはできていたのだ。
◆
私、「リカルド」は街を彷徨うのだけれども、でたらめというわけではない。
「リカルド」は市街地を散歩しつつ、公園を歩き季節の花に縁取られた小径を歩く。
そして石造りの街並みを抜け、開けた広場に向かう。
そこで多くの人波(切り抜かれたボール紙のシルエット)に紛れて市場の店先を周る。
露店の人々も店先の品物も全て厚紙に描かれ切り抜かれた模造なのだけど、私たちはいつもそこでやりとりをしたと演じ、紙袋一杯の食料品、そして最後に花を一束。
市場を出る時には紙袋を抱え花束を片手にしているのだ。
どこからかやってくる光の調子が少しづつ赤みがかってくると、夕闇がやってくる兆しだ、「リカルド」の足はカフェ『ウラニア』に向かう。
そこで店先のテラスのテーブルに座り、注文を取りに来る娘「クリスティーナ」に花束を渡してコーヒーとアーモンド・ケーキを注文する。
そしてオーダーと花束を受け取る「クリスティーナ」は(おそらく)微笑みながら鉄の心棒の滑りに乗って店の中に入っていき、私はテーブルから少しづつ暮れていく路上の風景を眺めいてた。
あなた方と同じように、仄暗くこれから外燈の灯されるのを待つ、平穏なひとときを贅沢な気持ちで味わっていたのだ。
そしてずんぐりとしたトラムが時刻通りの運行で、数人の乗客を乗せて通過するのを見送ると、「クリスティーナ」がカップと皿を持ってやってきた。
テーブルに置かれた軽食を私は口にするのだろう……。
これは前日も、そして翌日も再現される光景だった。
「リカルド」が「クリスティーナ」におそらくは求愛し花束を捧げる、この場面こそが私「リカルド」人形の一日のクライマックスであり、おそらくは全てがこの点に集約するように逍遥の行動や道筋が作られていたのだ。
「クリスティーナ」の人形は他の人形よりも丁寧に、繊細に作られていた。
あなた方がどう判断するか分からない、しかし「リカルド」は「クリスティーナ」を愛するように作られていた。
私自身はまず、そう作られた「リカルド」とともに、愛することを演じているのだと思う。
私自身は本体というよりも「リカルド」の影にあたるものと弁えていた。
影は実体に従って動くもの、あなた方も影が勝手に動き出すなど見たことはないだろうし、そんなことは許さないはずだ。
私は影として表に出ることなく、ただ観察し、考えるだけだった。
そう、いつも私は観察していた。
「クリスティーナ」の顔を見ながら、その顔の造形の仕方に、実在していた人間の容貌を呼び出そうとするかのような意志を私は感じ取っていた。
そしてこの街と私たちを作り出した「造物主」の存在を、私は思った。
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「造物主」の指先で作り出された我々に本来、心があるわけがない。
ごく細い鉄の心棒で立てられたものや、見えない空の高みから吊るされた紐で頭や手足を操られたものなど、どれもが人形であるのにまるでそこに心があるかのように見えてしまう。
そして、私も本来は人形の一つなのに、いつしか中空の頭の中で考えが流れるようになっていた。
私には奇妙にも考える力がある、私にあるこの「心」や「魂」が他の皆にあるのか分からない。
考えると同時に、この街の中しか知らない筈の私が、知り得ないだろう無数の知識を持っていることに気がついた。
作られた人形としての役割を超える情報が、どこから流れ込んだのか。
一つの考えとして、「造物主」に関する記憶が関わってるように思えた。
「リカルド」という名前や「クリスティーナ」という名前を与えられた人形には「造物主」にとって特別な意味があり、それは情景の部分として嵌め込まれただろう他の人形や画像に比べると精魂を込めたらしき仕上げ方はあきらかに違っているのだった。
「クリスティーナ」が特別であるように、私もまた特別な人形であるのだと思わざるを得なかった。
奇妙な部分は無数にあったが、中でも気になるのが私自身が初老の男「リカルド」役を演じながら、どう見ても娘ぐらいに若い「クリスティーナ」に懸想している様が滑稽なのだが、その点についてはまるで咎めるような空気がなかった。
そのままであれば「老いらくの恋」に落ちた男のみっともない姿である筈なのに、「クリスティーナ」からはそういう意味での拒絶感が出されていなかった。
一つの考えとして、「リカルド」の主観の中で描かれた世界の中で、客観的に自分を身つめることのできない妄想が形作られていたのではないか、と考えたのだが、むしろ悪趣味な戯画をここまでの情熱で作りこむものか疑問だった。
ロマンスの再現であるならば、人形をもとから若い男として作って年齢を揃えておけば良かっただけの話というのもある。
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おそらく「被造物」の人形の見る世界には限界があるのだが、考えることによって人形を逸脱したものは、ずっと目の前にありながら見ているのに見ていなかったものを少しづつ発見するようになるらしかった。
足下に巡らされた複雑な溝もそうだったが、街の中には「音楽」と「風」が流れていた。
「音楽」は言葉を持たない人形の我々の沈黙や、一切の生活音が立てられることがない情景に替わって、全ての場面を包み込み満たすように流れていた。
そして「風」は本当に吹いているものではなく、この模型の街の宙空や足下に様々な色で縒られた輝く糸がめぐらされて表現されていた。
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私は、目を凝らして見ても見えない部分にあるものも推測するようになり、そうしてゆくと少しづつ思い浮かぶものが出てくるようになった。
「造物主」の顔自体は分からないのだが、その巨大な目がレンズを通して覗き込んでいるのが分かった……それは私がかけているような、幾世代も昔の鼻あてのない丸眼鏡を通した眼差しだった。
そうして私は思い浮かぶものを手繰り寄せ指に絡ませ、人形の空虚な頭で記憶を紡ぎ合わせ、私は思い出していった。
「造物主」は街を作り出してから人形を作ったのではない。
初めに「クリスティーナ」を作り出してから「リカルド」は作られた。
それから二人を取り巻く情景としての、かつてそこで彼らが生きた街を作り込んでいった……二つの人形以外のほとんどが粗い作りなのも、情景にムラのある理由もそこにある。
「造物主」が考えていたのは、街をただ情景を再現したディオラマ模型にすることではなかった。
時刻を告げる際にいくつもの精巧な人形が優雅に動き出す水時計や、天体の運行を再現し視覚化するための太陽系儀のような、人形と街の、ある一日のある瞬間までを再現するものとして構想し試行錯誤して作り上げていったのだ。
そして「造物主」がここに街と人々を作り上げていった理由は、それらが「既に無い」からだった。
モデルになった街並みも、人々も、「クリスティーナ」もその墓所も「造物主」の手の届かない場所へと失われた。
「リカルド」が日々「クリスティーナ」に捧げた花束は「老いらくの恋」ではなく「終生の愛情」とともに手向けていたものだったのだ。
「造物主」はレコードからかつて愛した懐かしい音楽を流し、かつてあった街のありふれた情景の一日を眺め、人形の私・「リカルド」の軌跡を目で追い花束を抱えて『ウラニア』に向かう道行を自分と一体化させて辿っていた。
そうしてもっとも幸福で輝かしかった瞬間、あらゆる想いを込めた花束を、「リカルド」を通していつまでも美しい「クリスティーナ」に渡すことを何千回も繰り返す……。
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ある時、私たちの街に「朝」が来なかった。
街は目覚めずに動き出すことがなかった。
「造物主」がやってこなかった……私たちの時間は止まり「何日が過ぎた」のか分からないまま私たちは待ち続けた。
人形は動き、舞うことのない限り、凍りついた時間の中でただ待ち続けるだけだ。
私はいつまで続くか分からないこの停止時間の中で、ただ考えるだけだった。
突然、巨大な音と共に振動が街を襲った。
街は宙に跳ね人形や様々のものが投げ出された。
倒れた街の建物や樹木、心棒から抜けて放り出された人形たちの上を、本物の風と共に本物の砂が降り注いだ。
何かが起こり、私たちの街の外が壊れてしまったようなのだ。
凍りついた時間が終わると同時に、私たちの街は廃墟にされてしまった。
見える範囲でも被害の大きさは分かった。
全ての人形は地面に散らばり立つものは誰もいない……。
「クリスティーナ」……彼女はどうなったのだろう?
人形の私はそう考えた。
確かめようにも動力の無い人形だから自力で動くことはできない、だから仕方がない。
……いや、計算機もない頭が考えているこの私はそもそも普通の人形ではないだろう、思い込みは捨ててみないか?
私は自分の身体を意識し、それが動くようにイメージすると果たして手脚が動くのを発見した。
「造物主」は私をそう作ったのだ……。
私はゆっくりと立ち上がると、街の機構を使わずに歩いた。
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巨大な振動で街の書割も倒れ砂を被っていた。
単純な構造の人形たちは破損することもなく、ただ倒れているのが大半だった。
ただし、起き上がらせて立たせようにも、どれが個々の人形の心棒なのかが分からず直すのは断念するしかなかった。
カフェ『ウラニア』の辺りにつくと、やはり建物は倒れていた。
合板の書割を持ち上げるとその下から投げ出されて倒れたままの「クリスティーナ」を見つけた。
見た限りでは割れたり壊れたりしているところはなく、ほっとして広く開いた場所に移動させて仰向けにした。
顔に砂埃がかかっていたので袖の布地で拭ってあげたけれど、微笑んでいだ筈の顔にほんの少し泣いているような翳りが残った。
花束を捧げた時に浮かべたあの表情はそこに見つけることが出来なかった。
街は完全に昏倒し、深い眠りにある、そこに何も動くものがない。
私は動くことができたけれども、できることは無かった。
私はしばらく「リカルド」のまま「クリスティーナ」の隣にずっと座っているしかなかった。
それは「造物主」の気持ちを映し出したかのように、「リカルド」の身に馴染んだ。
「クリスティーナ」の顔を見ながら私は時間を過ごしていた。
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だけど、私は「リカルド」そのものではなかった。
影は実体そのものにはならないものだ。
実体のある人形はこの街の一部であるのだけれど、私は実体とは違う。
街を抜け出しても良いのではないか。
立ち上がって何もない一方向を眺めた。
街の中に居続けても何も変わらない。
向こうには何があるんだろう。
私は一人、一つの方向だけを目指し、街の外側へと歩いていった。
廃墟になった市街地を抜けて、程なく足下に溝は一切無くなり、滑らかな布地に覆われた大地が続いた。
模型の作られた痕跡のない空白の上を、私はただ歩き続けた。
◆
広大だけど限りのある世界の端にたどり着いた。
私はその先を目を凝らして見たのだけれど、何も映って来ない。
織物の大地は、世界の端から柔らかく落ちていて垂直に、底の見えない深い下に続いている。
布とは別の光る黄金の細い鎖や澄んだ緑の湖水の一筋の糸がもつれて絡みながら同じように世界の縁から垂れ下がっているのが分かった。
「風」だった糸と鎖は何本も蔦のように這いながら、燃えたり凍えたり輝きながら自分の重みで谷底へと落ちている。
私はいくつかの蔦を見分けながら、頼りになりそうな一つを選んでそれを掴み、世界の端から、崖を下に降りた。
両手両脚でバランスをとりながら、私はつたい降りていった。
垂直に垂れた布には切れ目があった。
不規則な長さで、或いはわざとたくし上げられたかのように持ち上げられているところもあった。
私は布の向こう側……ちょうど私たちの世界の足の下を覗き込んだ。
そこは空虚ではなかった。
大小様々の歯車、複雑に幾つも噛み合わされ幾層も重なり目の届く限りの空間に連なっていた。
私たちのいた世界の足元にはこの歯車の機構が詰まっていて、それが伝える動きによって私らは動き、まるで生きているかのような仕草を繰り返していた。
魂も感情も、まるであるのだろうと錯覚したすべてのものはこれらの作り出した優雅で病んだ軌道なのだ。
見えないどこかから絶え間なく風が……本当の風が吹いてきて私を揺らす。
この遥か下を私は見ることが出来ない。
多分、「造物主」が踏み締めていた床があるのだろうけれど、もしかしたら無いのかもしれない。
無限の虚無が広がっている可能性だってあるだろう。
この糸にすがってる手脚を開いたら私は宙空に飛ぶ、そして落ちていくだろう。
床があるのなら叩きつけられて粉々になるだろうし、何も無ければ永遠の闇をどこまでも落ちていくだけだろう。
滝の水が落ちるような布の垂れ下がった先はどこまで続くのか、幾百もの色彩で輝く糸と鎖もどこまでつながっているのか、どちらも分からない。
音もせずに吹く風が揺すぶってくる。
消えた「造物主」に会いに行かなくてはならない、と私は思った。
彼ならば凍りついた街を、人形たちを、「クリスティーナ」を再び目覚めさせることができるだろう。
それ以外に世界をもう一度生き返らせる手段はない。
無数の歯車たちの回転が再開しなければ皆が生き返ることはないのだ。
「造物主」は無事なのだろうか、街の歯車が突然止まった理由は何なのか、そもそも会いにいって私は話すことなどできるのだろうか。
あるかも分からない底を目指して、どこまで繋がっているのか分からない糸を下っていって……世界の外側で一人ぼっちだ。
しかし不思議に力が漲っていた。
音のない風の代わりに、頭の中では街に流れていた幾つもの音楽が流れている。
目眩のするような暗闇の中に、幾筋もの糸が光って上下を繋いでいる。
私は恐怖と希望で胸を満たしながら、遥か底へと降下を続けた……。
(2024年(令和06)09月05日(木))
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