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陽だまりの鳥(東軍:水沢秋生、尼野ゆたか、最東対地)

(お題:アルコール)

第1章(水沢秋生)

 これはやはり、アルコールの飲み過ぎだろうか。

 そう言われても、不思議ではない。私はここ十年、京都木屋町でバーを経営している。バーテンダーの中には、自分自身は酒を飲まない、飲めないというものもいる。私はその逆だ。店の経営に差し支えるほどではないにしても、毎晩、ある程度の酒を飲む。以前は飲まれるほどではなかったが、最近では、しばしば、酔いつぶれて店のカウンターで寝てしまうこともある。

 それでも、記憶はきちんとしている。レジスターの中の金勘定も合っている。

 だから大丈夫、少々飲み過ぎだという気はするが、アルコール依存症には程遠い、そう思っている。

 今日だってそうだ。今、カウンターで寝てしまった理由は私でもよくわかっている。記憶も飛んでいない。昨夜、彼女が店に来たことも、覚えている。

 彼女に会うのは五年ぶりだった。彼女は変わっていた。長かった髪は短くなり、身につけていたアクセサリーは高価になった。しかし、五年前と変わらず、彼女は美しかった。

 五年ぶりの彼女を前に、私は平静だった。少なくとも平静であろう、そう努力した。その努力は、おそらくは実を結んだはずだ。あんな出来事など、なかったように私も振る舞うことができた。

 だからこそ、彼女が帰ったあと、私は私自身に、いつもより多く、強い酒を飲むことを許した。そしてカウンターで酔いつぶれた。

 目覚めた今、頭は痛むし、口の中はカラカラだ。間違いなく二日酔いだ。二日酔いだが、正常な二日酔いの範囲だ。

 では、なぜ。

 なぜ、目の前にパンダが見えるのだ。

第2章:尼野ゆたか

「やあ」
 パンダが口をきいた。
「気分はどうだい」
 私は店じまいを始めた。散らかっていたグラスを洗い、ふきんでカウンターに溢れていた酒を拭き取る。
「ひどいな、無視することはないだろう。話しかけられたら返事をするのが、常識じゃないかい」
「いいか」
 私は手を止めず、吐き捨てるように答えた。
「パンダは喋らない。人間に気分がどうか聞いてもこない。話しかけたから返事をしろとも要求しない。それが常識だ。だから、無視しているんだ」
「は、は、は」
 パンダは笑った。
「つまり、君は僕はパンダではなく、幻覚とかそういうものだと考えているのかな」
「わかっているじゃないか。なら黙っててくれ。店じまいで忙しいんだ」
 モップをしぼり、床を拭き始める。ここまで酔ってしまったのは初めてだ。さっさとやることをやって、布団で寝よう。
「幻だと思うなら、黙っていなくてもいいだろう。幻が何をしようと、現実には影響ないじゃないか」
「一理あるな」
 まったくだ。現実に存在しないものがなにを言ったところで、なんの関係もない。好きに喋らせても、店じまいは進んでいく。
「よし、僕たちの間で合意が形成できた。とても人間的な合意だ。それでは続きを喋らせてもらうよ」
 パンダは、嬉しそうに話し始めた。
「彼女の今の姿を見て、どう思った」
 無視する。その質問には、答えたくない。
 付き合ってはいけない3B。バーテン、美容師、バンドマン。五年前の私は、そのフレーズ通りの男だった。
 修行中の身で、金はない。しかし女性と知り合う機会は多く、彼女たちに気に入られるように喋る技術もあるし、酔わせる酒もあった。
 彼女は、そんな私に愛想をつかして、去って行ってしまった。こんな男とは付き合えない、そう言い残して姿を消してしまった。
 後悔して、私は心を入れ替えた。失って、彼女がいかに大切か初めて理解したのだ。
 真面目に働き、自分の店が持てるようになった。彼女には、感謝している。そのつもりだった。
 しかし、昔と変わった彼女のすがたを見て、心が乱れた。私には買えなかったアクセサリを身につけ、昔とは違う髪型をしていた。
 あの時、もっとまともだったら。彼女を大切にしていたら。彼女は、今でも自分のそばにいるんじゃないのか。
「もう一度、やり直せるとしたらどうする?」
 パンダがいう。
「白いものを黒くし、黒いものを白くする。そんな機会があるとすればどうする?」
 パンダは、じっと私を見ていた。
「わたしは喋るパンダだ。現実にはない存在だ。だから、現実には起こりえないことも起こせる。かも、しれない」
 パンダの目は、私をとらえて離さない。
「さあ、質問だ」

「君を、五年前に戻してあげようといったら、どうする?」

第3章(最東対地)

私はこの胡散臭い幻くんだりのパンダのいうことを聞くべきか。
鵜呑みにすべきか。
いや、夢ならばこの話に乗ってみるべきか。
馬鹿馬鹿しい。

いわゆる夢オチというやつだ。夢から覚めれば、このパンダすら夢うつつの存在にすぎない。だが現実を忘れるにはちょうどいいかもしれない。
五年前の自分の選択が誤っていたことの後悔を、ここで晴らせるかも知れない。夢であってもそれでいいではないか。

馬鹿馬鹿しい。

二度目なのに私は笑っていた。そうだ。これは夢。夢なのだから笑って乗ってやればいい。
「よぉし、わかった。だったら戻してもらおう。五年前に」
「ようやく腹が決まったかい。じゃあ、戻してやるよ。さぁ、飲め。そのグラスを」
そういったパンダの言葉に、私はテーブルの手前を見た。
飲み干したはずのグラスになみなみと琥珀色の液体が注がれている。
なるほど。なにからなにまで夢なのだな。
笑っている顔をパンダに見られるのは癪だったので、表情が変わる前に一気に飲み干した。

「いいねぇ。いい飲みっぷりだ」
「うるせぇ、笹食ってろ」
「そうかい? まあ僕は消えるさ。上手くやれよ」
「笹食ってろ」

五年前だと?ふざけやがって。

あの日から、この5年間で俺になにがあったかわかっているのか。
バカにしやがって。

視界が歪む。いつも飲んでいるはずのバーボンも、飲み下す熱が胃を焼く。

「こんばんは」

視界が開いた。目の前には髪の長い彼女がいる。

結婚が決まったと笑ったショートカットの彼女ではない。私のよく知っている長い髪の綺麗な彼女だ。

「やあ」
俺は笑った。うまく笑えているかどうかはわからない。

「どうしたの。気持ち悪いね」

客商売には向いていないと彼女は知っていた。ずいぶん前に知っていたのだ。私はうまく笑えない。だから客もつかない。酒の好きな物好きばかりが常連になった。

「で? どうするの? 私とこのお店はどちらが大事?」

素面では答えにくいことを質問してくる。
そうだ。思い出した。この日はそうだった。
このなんでもない質問で、私...いや、俺たちは終わったのだ。
この時、俺は選択を誤った。俺は、「店」を選んだ。結局、「アルコール」に群がる客をとったのだ。

「なに飲む?」
「え?」
「飲むだろ」
「そんなことを話にきたんじゃ...」
「いいじゃないか。最後の酒だ」
「どういうこと」
「今日で店じまいってことだよ」
「...本気なの」
「本気かどうかはお前が決めろ」

彼女は、ふふ、と笑うとオーダーした。
俺は無言でそれをロックでいれてやる。

「...おいしい。きついんだけど、なんだか温かい。なんてお酒?」
「バーボンさ。不純物が少なくて、飲みやすい。60度もあるんだぜ。けど、飲めるだろ」
「もったいつけないで」

彼女は笑っていた。俺の覚悟と決意を察してくれたようだ。

「ラベルもかわいい」
「パンダが憎いだろ」

丸い氷が、歪んで溶ける。

「氷が溶けると味が変わるんだ」
「ほんとだ。人って、変わることができるんだね」
「これから変わるのさ」

俺も注いだ。ひとくち飲む。
ああ、そうか。この時間が必要だったんだな。
ラベルのパンダを睨む。

...馬鹿野郎。お前のおかげじゃねえからな。笹食ってろ。

「いい加減、教えてよ。名前」
「知るかよ。自分で読め」
「『sunny place bird』? どういう意味?」

「陽だまりの鳥、だよ」

そして、俺はパンダも彼女もいない店で朝日に目を覚まされた。

「...さて、今日もがんばるか」

                        


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1月19日(土)17:00から、京都 木屋町「パームトーン」で開催された「fm GIG ミステリ研究会第3回定例会〜ショートショートバトル大会」で執筆された作品を、こちらで公開します。

顧問:我孫子武丸
参加作家陣:木下昌輝、水沢秋生、最東対地、川越宗一、尼野ゆたか、今村昌弘

司会:冴沢鐘己、曽我未知子、井上哲也

上記6名の作家が、東軍・西軍に分かれてリレー形式で、同じタイトル(今回は「陽だまりの鳥」)の作品を即興で書き上げました。

また、それぞれの作家には当日観客からお題が与えられ、そのワードを組み込む必要があります。

当日のライブ感あふれる様子はこちらをご覧ください。



「陽だまりの鳥」は、本来こんな曲です。



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