すっぴん

木漏れ日のある散歩道
緑の多いところ
商業的でないところ
しずかなカウンター
わたしの部屋

そういうところで
すっぴんになれる
本音が出やすくなる
柔らかで自然な言葉がでる

できれば隣がいい
できれば正面をさけたい

人と正面で話すのが苦手
人の眼をみるのが苦手
だった20代前半

可愛がってくれるのは分かるけど
わたしが欲しいタイミングで
わたしが欲しいようには
もらえた気がしていなかった

誕生日もそう
過ぎたならいらない
誕生日だから意味がある
いつも遅れてやってきては
ごめんねと祝えた喜びとを預かる

ちがうよ、いまじゃないんだって

なんて言葉にしたら良いのか分からなくて
でもお祝いは嬉しいから嬉しくて
ニコニコして過ごしていたら
ニコニコするくせがついてしまった
良いことばかりではない

誕生日にはアンビバレントなこころがある

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「〇〇さ、ひとの目見てしゃべらないよな?それ、やめたほうがいいと思うんだよな。」って、君が言った。親密になりたいとき、ひとの目を見ることができないと気付いたのは、君が、新しく出来た学食で就活相談にのってくれたときのことだった。読書を教わったひと。心の交流を教えてくれたひと。恋愛感情の枠に収まらない、おさまろうとしない相手。いつも白線がひいてあるひと。大切な思い出。

それからわたしは、ひとの目を見る訓練をしてきたような気がする。でも、いまだに、はっきりと両親の目を見ることができない。ちがうよ、が言えないから、なにか余計な愛情が生まれないように、ほしくないものを貰わないために、まともに見ることが出来ない。2人のことは大切なのに、存在は好きなのに。

家族だから生まれてしまう軋みを、わたしも小さく持っていると思う。“ 家族だから生まれる軋み“は引用なのですが、大なり小なりあるなと納得して、大切にしている言葉です。

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星空の散歩道
蛍がいる森
犬がいた玄関
内緒のゲームセンター

ほしかった心の交流があった場所でわたしは、いつも、ちゃんと目を見ていない。なにかを通して顔をあわせている。顔をあわせてなどいない。

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書きたいことは2つで、ひとつは、最近、目をみて話せる親密になりたいひとがいること。その喜び。もうひとつは、学びたいことがあるので家族旅行への参加を減らしたいことと、食事についての長年のきもちを、部屋にくる母親に話すかかどうかということ。

あと、あのひとに連絡を取るかどうかで3年経ってしまったのを、生きていることを祈りつつ、時間が経ってしまったのを、どうしようかなということ。

3つあった。3つにまとめなきゃと思うのも長年の癖だと思う。もう論理的にとかみーしーとかやめちまえと思うことがある。ただ、自然の中に居たかった。

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我儘かもしれないけど、もうすこし自分のための人生にしたい。謳歌してみたい。

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一気に書いたすっぴんの文章を、いったん置いておきます。いや、すっぴんなんて綺麗事で、ただの排泄かもしれません。

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またきます。

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