Daily Life - vol.000 - 春を迎えるときに

春を迎えようとする季節に思い出すこと。
ひとつめ。

わたしは生まれてなかったかもしれないし、死んでいたかもしれないし、それでいて奇跡的に生きているということ。

わたしの母親は大学や東京に行きたいという希望を家庭の事情で叶えることができず、地元の百貨店で働いていた。彼女は好奇心旺盛で、器用で、あまり言わないけど設計図や建物やインテリアや洋服が好きだから、機会があれば、何かしらのデザインに携わっていたのかなと思う。

彼女は、人事異動で東京行きの切符をもらえたらしいのだけど、それも事情があって行けなかったという。

そうして、その百貨店に勤め続けたところで父親に出会い、経過はよく知らないが結婚をして、いまも地元で生活をしている。結婚をして第1子の子育てが落ちついた冬に着床したわたしは、秋に生まれた。

何歳かの春、わたしは突然交通事故にあう。時速35kmほどの紅葉マークの車にすっ飛ばされたそうで、交通事故の教材にでてくる子供のようにぽーんと飛ばされたらしい。何メートル飛んだか覚えていないけど、八百屋さんのまえで飛び出したときのことは何故か覚えている。気がつくと病院にいて、どこも痛くなかったこと、怪我がないこと、父親がものすごく母親に怒られてたことも何故か覚えている。

ぽーんと飛んだ身体と飛んだ記憶がほんの数秒あるだけで、わたしは生きている。そして、母親が願っていた東京で暮らしている。

母親が上京していたら
父親と出会わなかった

父親と出会わなかったら
わたしは生まれなかった

あの車が紅葉マークじゃなかったら
わたしは死んでいた


もらった命をあたためて
芽吹く春を迎えたい


つづきはまたこんど。

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