Daily Life - vol.007 - 無駄吠えをやめてみる
とかいう、日常のたった数秒におこる個人的に面白かった瞬間をTwitterに書くのをやめている。
とか、本日の個人的感想についても、インスタやTwitterに気持ちのまま書くのをやめいてる。
最近考えている。なにを投稿するか?について。こころのプライベートな部分をどれだけパブリックにするのか?について。投稿して何がしたいのか?について。
たまに、パブリックにした文字列にハートがつくことを視線のように感じる。真顔でいいねを押す目。縦スクロールをする流し目。目があるなぁって。目を見て話したいのに、目を見て話すことができないなぁって、それが寂しい気がしちゃった。
それに、反応が欲しいわけじゃない日もある。いま話しかけられるの嬉しくないなぁって。え?でもいまを発信したのは私だよね?って。自己矛盾的活動をしている。
じゃぁ、わたしは何がしたかったですか?
じゃぁ、わたしは何がほしかったですか?
こうやってふりかえるうちに、インタラクションを考えていないと気づく。無設計なインタラクションに足を絡ませながら、こころの声をもらし続けている。犬の無駄吠えと同じである。無駄吠えにいいねがつくのはどうかと。
居場所のようなものがある気がするけど、ほんとうの居場所はそこにはないのではと思う。朝のゴミだしで交わされる井戸端会議のようなもので、ゆるい繋がりはできるのかもしれないけど。
あぁ、いまの心中をさ、SNSから生まれた友人関係のひとに見られたら、悲しむかもしれないね。
でも、もうすこし立ち止まってみたい。SNSになにを呟いて、なにがほしくて、あの場所にいる友人たちとどうしていきたいのかって。
パブリックにしてきたものには、いろいろなものが内包されている。
伝えてもいいこと、伝えないほうがいいもの、すっきりしたいだけのこと、笑いあいたいだけのこと、共感がほしいだけのもの、わたしはこういう人だと知ってほしいがためのもの…。
でも肝心の、こういうインタラクションがほしいだの、イラネだのの前提を、どういう関係をのぞむかを、自分自身でしかりと持っていないから持ちたいなって思っています。
来世、お利口なゴールデンレトリバーになるための修行でもあります。
26, Feb
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