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おばあちゃんとわたし

わたしは2人姉妹。学年は2つ違いだが、生まれは年子の妹がいる。妹が産まれるころ、田舎のばあちゃんに預けられた期間がある。
1歳過ぎて歩き始めたくらいで、記憶なんてほとんどない。それでも「親に置いていかれた子ども」という感覚がずっとあった。

大人になって確認してみたらほんの2週間ほどだったのだが、『いま』があるだけの乳幼児期、まだ生まれて1年ほどのわたしにとっては2週間はとても長かった。
「長いこと親に置いていかれた」という感覚は、頭では違うといまは知っている、分かっている。それでも、乳幼児期に抱いた喪失感はいまも消えずにのこっている。
そんなわたしは、自然とおばあちゃんこになった。

小学生までの長い休みはほぼ田舎にいた。終業式とともに田舎へいき、宿題もこなし、始業式前に帰ってきていた。

大人になってからも、正月やらなんやらの節目などには足を運んでいたし、旅行もいった。
わたしが30代に入る頃、祖母は介護が必要となった。母が父と別居し介護することになり、手伝いにちょこちょこ田舎にいくようになった。年越しは母は父と過ごし、わたしが祖母と2人で過ごしていた。

わたしにとっての1番のおふくろの味は、おばあちゃんが作る甘辛いきんぴらごぼうだ。

おばあちゃんは歳のわりにハイカラで、わたしのダメンズウォーカーな恋バナなども「お前は変わってるからなぁ」と、怒ることなく聞いていた。
40近くになっても結婚しない孫に「みっともない」などと言うことがまったくない女性だった。

夫と出会い、夫を紹介し、とても喜んでくれていた。ひ孫がうまれ、すぐにでも会わせたかった。

祖母と母の老老介護暮らしは7年ほど続いていたが、祖母と母の話し合いのもと、施設への入所希望が出された。
息子の誕生と入れ替わるように、祖母の施設入所は決まった。不思議なものだ。わたしはそのおかげで、産後すぐの期間を実母にサポートしてもらえた。

出産した時にはまだ入所していなかったので、うまれたばかりの息子の写真や動画を、祖母は母と一緒に、はっきりとした意識のなかでみることが出来た。

先週、LINE面会をした。意識の覚醒レベルは高くないようだったが、はっきりと目を開き、動き泣くひ孫と画面越しに対面した。祖母が目をパカっと開いているときにタイミングよくスクリーンショットを撮ることができた。

息子にとって、それがひいおばあちゃんとともに写る唯一の写真となった。

おばあちゃんはさっき旅立った。

コロナがなければ、会いにいって息子を抱いてもらえていた。悔しさがないわけではない。

けれど、虫の知らせのように「いまだっ」とテレビ通話での面会が出来ないか施設に問い合わせたりなんだりと算段をつけたのが、先週のLINE面会だった。
祖母ははじめ眠ったままで、今日は無理だと判断されて一度電話を切った。ほどなくしてから「起きた!」と、改めて電話をもらい、目をはっきりあけた祖母の目に動くひ孫をみせ、声を聞かせ、ハッキリとは聞こえないがわたしたちに向ける祖母の声を聞くこともできた。

最後になるとは思っていなかったが、明るくLINE面会が出来たことが、ただの自己満足でしかないが満足している。

悔しさはないわけではないが、満足している。満足するしかない。悔しさはなくはない。そりゃー、悔しい。コロナ騒動がなければ大好きなおばあちゃんにひ孫を抱っこしてもらえたのだ。コロナ騒動のバッカヤローーーーーー!!!

おばあちゃん、わたしはのーーーーんびりとそちらに行く予定です。おばあちゃんがみてなくても、幸せいっぱいに息子育てていきます。
こちらは気にせず、おばあちゃんの心ゆくままに新しい旅を楽しんでね。

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