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日々よしなしごと~裏方の醍醐味~

最近、風炉の灰型を作ることにハマっている。

冒頭の写真が茶道(裏千家)の風炉と呼ばれる、灰と炭を入れて釜をかける道具のことで、この中に灰を入れるのだが、その灰にいろんな型がありそのひとつの二文字と言われる基本的な形。

釜をかけてしまえば客からはほとんど見えない灰の形。灰型を作るなんて普通の茶道教室では知識としては教えてくれても、実際に作ることはあんまりしないだろうと思う。私が通う教室では教えてもらう機会はあったが、私も他の人もそこまでする気がなかった。

ところが、先生が体調を崩されお稽古が休みになり、回復後もこれまで通りの先生が稽古の準備をされるのは難しいかもしれない・・という状況になった。

そんなわけで、先生の代わりに私たちが準備できるようにしようと、教室の仲間たちと茶の稽古をするための準備全般(水屋仕事という)をやってみようということになった。そこで立ちはだかった?のがこの灰型だった。

茶会をよく開催するお茶仲間の力を借りて、基本の灰型作りを実際に教えてもらうが、一回習ったからと言って、すぐにできるというものではないことは明らかで、何度も自分でやってみないと習得できない、というかきれいになどならない。しかも、時間をかけてじっくり仕上げるというものでもなく、あくまで茶席の下準備なのでせいぜい30~40分程度で仕上げなければならない・・・ハードルは結構高いのだ・・・

たまたま譲っていただいた風炉があるので、専用の灰も手に入れ、自分なりに仕上がりをイメージして自主練を始めた。毎日のように続けてみると、下手なりに手応えがあり、少しずつきれいに仕上げられるようになると、だんだん面白くなってきてすっかり灰型作りにハマったというわけ。もちろん見る人がみれば全然なってないじゃん、だけど・・・・


この灰型に関して、感動的なエピソードがある。

千利休が秀吉から切腹を命ぜられて亡くなったあと、千家は存続の危機に瀕していた。利休の跡を継いだ娘婿の小庵は会津に追放されたが、何年後かに京に戻され千家はなんとか取り潰しは免れた。                   追放の間、息子の宗旦は大徳寺の塔頭のひとつに修行に出ていたが、その間過ちを犯し大原の女を身ごもらせたのだ。宗旦は家に戻り、女とその連れ子ともども千家に引き取った。千家を継いだ宗旦は連れ子の宗拙も生まれた子も貧しい暮らしの中、分け隔てなく茶人として厳しく育てるが、しばらくして大原の女は江戸に出奔してしまう。                               宗拙は茶人として並々ならぬ才能があり、特に灰型の名人と言われた。宗旦はいずれは宗拙を跡継ぎにと考えていたが、宗拙は宗旦の血を引かぬ自分が跡継ぎにはなれないと母を探しに家を出てしまう。宗旦は大きな喪失感と悲しみに暮れた。

それから数十年。宗拙は密かに江戸から京にもどり修行僧としてある寺に移り住んでいた。宗旦はそのことを知らず、ある日その寺の和尚から茶事の招待を受ける。和尚も宗旦が来るということを宗拙に知らせずに、茶事の準備をさせた。                              宗旦は時間通りに寺を訪ねるが、和尚もおらず一人茶室に入った。そこにまだ炭の入らない風炉の灰を見て、しばらくそこでたたずんでいた。その灰を見て宗拙が戻ってきたことを悟り静かに涙を流す・・・

…とまあ、あまりにマニアック過ぎてシラケてしまう人もいるかもしれないが、一回の茶会や稽古が終われば、あっという間に崩されてしまう灰型は、まさに一期一会、侘び寂びの美意識の象徴と言えるのかもしれない。宗拙はその唯一無二の灰型の名人だったというわけだ。


そして本題の「裏方の醍醐味」

茶会では茶席が表舞台。この灰型作りはその舞台を支える裏方の仕事であり、床の間の軸や花のように、お客様に鑑賞してもらうものではない。でも、宗旦が息子宗拙の灰型であるとすぐにわかるように、そこには単に仕上がりの美しさだけではなく、お茶そのものへの向き合い方や、「もてなす」ことへの深い志は、見る人が見れば分かるということだろうか。

これこそ、裏方の仕事の醍醐味…だと思う。

自己満足、とならないように自主練だけじゃなく、実際の稽古や茶会でもしっかりできるようにならないとね。

ということで、裏方大事!

宗拙を目指せ!

めっちゃマニアック・・・・

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