ちゅーりぷ

美しくありたい。。。

ちょっと大仰なタイトルになってしまったけど、先日facebookである方の投稿の中に、「かしこさよりも、豪華さよりも、美しくありたい。」と書いていて、もちろん見た目のことではなくその後に、だから夜中に添加物の入ったものは食べないでおこうという決意?をされていた。そういう事をさりげなく教えてくれる人がいるようで、その方を尊敬されているようでした。

よく雑誌でも『美しく生きる』とか『美しく老いる』とかいう特集があるけど、ライフスタイルとして、丁寧な暮らしや身の回りのモノは選別し余計なモノは持たず、食事も質素でバランスの取れた自然食材を使ったもの。先の方も美しくいたいというのは、いわゆるミニマムでオーガニックな暮らし方をイメージされているのでしょうか。

私自身も、そろそろ人生残り少なくなって、できるだけ身辺はシンプルに多くを持たず、好きなものだけを持ち、食事も一汁三菜のシンプルだけど丁寧に作ったものにしよう。。。と思っているが、なかなか理想の暮らしには程遠い。ましてや美しいか?などとは恥ずかしくて自問すらできない。

高校生の時、卒業にあたって各教科の先生が卒業アルバムに一言ずつお言葉書いてくださった。その中に古典の先生で、その頃もかなりのお年のおそらくは定年間近だったと思うが、いつも静かに淡々と授業をされてた。女子高だったその頃の私たちは、まるで野獣のような女子だったと思うが、私はなぜかその先生を密かに尊敬していたと思う。穏やかな佇まいと浮世離れした雰囲気で、野獣の私たちも退屈半分おとなしく授業を受けていたと思う。その先生のお言葉が

『いつ切れても美しい人生を』だった。

それこそなんて美しい言葉だろうと、野獣の心にも沁みた。そして時折この言葉が私の頭をよぎることがある。

それから幾星霜、野獣たちも今頃はいい年のおばちゃんになっていることだろうと思うが、美しい人生を送っているだろうか。

昨日はドラックストアからトイレットペーパーやティッシュがごっそりと無くなったそうだ。誰かの心無いデマに踊らされて、日本全国で買占め作戦が行われたらしい。そういえば随分昔に石油ショックと言われる出来事があって、その時もトイレットペーパーを買う人がスーパーに押し寄せるという騒ぎがありましたね。ひょっとしたらその時に笑っていた若かった人も今回はドラックストアに走っていたかもしれない。

コロナショックとも言えるこの2020年の2月の新型コロナウィルス感染の状況には、春の暖かな風や優しい日差しにも気持ちが踊らないかもしれない。私だってやっぱりざわつく気持ちがないではない。でもそれはそれとして、世の中の動きには少しだけ距離を置いて、ゆっくりと眺められるほどの平坦さは持っていたい。『いつ切れても美しい人生』とはまだまだ言えない日々の暮らしの中にいても、その言葉がひとつの私の道標になっている。


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