レコード

自分を育ててくれたもの

私の喫茶店では、”学びが遊び”がコンセプトの『オトナの遊び場』という企画をしているが、その中に「レコードトーク・ナイト」というのがある。当店の大家さんであるイタリアンブティックのオーナーH氏は大の音楽好きで、当店にはそのコレクションでもある、ありとあらゆる音楽(クラシックと演歌以外)のレコードとCDが山と積まれて置かれている。同じく音楽とレコード大好きなH氏の友人であるT氏とで企画した「レコードトークナイト」は、ふたりがナビゲーターを務め、毎回テーマを決めて持ち寄ったレコードやCDを紹介しながら聴くというシンプルな会である。もともとT氏が以前からやってみたいと思っていた企画だが、これが毎回とても面白い。音楽の蘊蓄を語る会ではないので(むしろこれはやめようという合意で始めたこと)、H氏やT氏、集まった人たちがその楽曲にまつわる自分のエピソードを語るだけなのだが、その話やその時の表情がとてもいいのだ。

特にT氏やH氏は、この会に思い入れがある分、若干前のめりになって今か今かと紹介する時、少年のように目を輝かせてニマニマして紹介する姿に、いつもクスッと笑ってしまう。ほんとに楽しい会だと思う。

これまでこの会で聞いていると、音楽との出会いは中学生くらいが多いようだ。ラジオなどで聞いた音楽に衝撃を受け、親にねだってあるいは自分でお年玉などをためてドキドキしながらレコード屋に行き、生まれて初めてレコードを買った話とか、少し大きくなって高校生の時にファンになったアーティストのライブに行った話とかを、嬉しそうに懐かしそうに話してくれる人もいる。おそらく一つの楽曲から、一人のアーティストからさらに興味の範囲が広がり深まりながら、音楽への愛と理解により人間的な成長にもつながっているのかもしれない。音楽との出会いが彼らの思い出とともに人間性の一片となって息づいているのを感じる。

また別の友人は、大学生の時に学校に行かずに名画座で日がな一日映画を見て過ごして、それ以来フランス映画に魅了されてしまったとか、「人間失格」を読んで太宰治のファンになって桜桃忌は忘れないでいるとか、自分のその後の生き方にも大きく影響している話しも聞いた。

私はといえば、中学校の時に人気だったラジオの音楽番組を聞いて、その時に流行った曲のことは覚えている。でもレコードを買うこともなかったし、ライブに行くなどという事を考えもしなかったと思う。つまり、その程度のファンで、とりあえずその時の流行にちょっと乗って、その波が過ぎればまた次の波にちょこっと乗って・・・というミーハーなかかわり方だったのだと思う。

映画も話題作や超大作みたいな娯楽映画がほとんどで、フランス映画も観ていたけどフランス映画を語れるほどでもない。本だって、川端康成やフランソワーズ・サガンばかり読んでいた時期もあったけど、だからと言って自分がどんな影響を受けたのかよくわからない。その時はただ面白いと思っただけなんだろう。

先のT氏やH氏のように、彼らの人生にはきっと彼らが聞いてきた音楽が寄り添い、感受性や情緒として人間性の中に生きているような気がする。音楽や本や映画に限らず、その人の中に注がれる滋養に満ちた水のようなもので育てられることがあると思う。そのことを自覚して語れるものがあるのは素敵なことだと思う。

私もミーハーはミーハーとして、断片として残っている音楽や本や映画の記憶は、中学生や高校生らしい純粋さでワクワクドキドキしたその時の興奮を今でも感じることができる。きちんとした思い出として語ることはできないけど。

もうひとつ私の場合は、ファッションも大きな関心ごとだった。映画の中で見た女優さんの着こなし方やスタイルにしびれるような憧れを抱いて、少しでもそれに近いスタイルを目指していた。そして気が付いたのは、カッコよく見えたり魅力的であるのは、演じた女優さんや役柄の個性や知性が醸し出すものだということだった。つまり、ファッションてどんなにステキなデザインであっても、着る人そのものが結局現れてしまうものだと悟った。

そんな気づきが、私自身の成長にどんな影響を与えたかはよくわからない。ただ、結局のところ、語る言葉にしても装うものも、その人のなんらかの良き出会いが、いつの間にか、その後の人となりを形作る要素となっていくのだな、とそんなことを思った。



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