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そんなことわかりません。子どもが決めることですから

「2022年 9月 地域立的学校 風のかたちスタート」
「毎週月曜日 プレプレオープンデイ」

学校をスタートさせようとしていますが、なにをどうやろうかを検討中です

迷走的というより、色々あってその中からどれを選ぶか・・・みたいな事ですが、それを迷走というのか。

やることは基本的には具体的な"事"なわけですが、「それをやることで何を学びますか?」と言われても
そんな事わかりません。子どもが決めることですから・・・

折り紙したら、
折り方を学ぶ子もいれば、
三角や四角の概念を学ぶ子もいるし、
大きさの概念を学ぶ子もいるし、
半分の概念を学ぶ子もいるし、
紙質の概念を学ぶ子もいるし、
色使いを学ぶ子もいる。
糊の性質
固形化する時間
はさみ
空間認知
完成形のイメージ
和紙洋紙
挙げたらきりがない

学びの目的地は必要だと思うのでそこは頭に描いています。
その経過にある学びの具体的内容です。

学校で「今週は折り紙やります」
という教育内容があったら、受け入れられるのか?
学校だからきっと何か目的があって・・・
と勝手に思い込んで折り紙を受容しているだけで、
家で折り紙で遊んでいたら、
「そんな事してないで、勉強しなさい」
って、昔の自分なら思いました。

自分として、学校として、やれることは無限にあります。
自分本位で「これをやってあげたい」「これを身につけてもらいたい」
があったとして、それを自分の思った通りにやったとして、子どもが得る学びは自分の思ったサークル内には収まらないよね。

子どもはそこを軽々超えてくるから面白い!
「今日はこれを学びます」
なんて決めれるようなことではないはずで、
教える人と教わる人にわけて、学ぶ事を決めて、一定の枠内に収まった学びを期待しているようでは、主体性なんて夢のまた夢・・・のまた夢。

どんな些細なことでも、「自分で決める」ことの重要性はその後の枝葉に繋がる幹同然。

「その知識や経験は要らないよ」と、その枝を切り落とし、切り落とし、切り落としてできた樹形は、その共通感覚を持った人の間では美しいかもしれないが、その範囲外の人には歪に見えるかもしれない。

まぁマニュアルや手段を学ぶには、教授の関係も有りかもしれないが。

・・・

・・・

などと、考えながら、つらつらと書いていたら、こんな感じでやろうかな・・・・という道がちょっとまた見えた!

やりたい事はあります。自分事なのでそれはこちらが決めます。
そしてそれをやらないと、「自分で決めて」なんて子どもに言えませんから。
もちろん、それを押しつけることはしません。
子どもの興味をくすぐれるか?
人であれ、内容であれ。

公式ラインはこちら↓

https://lin.ee/Y3UPbiU

風のかたち by パリンドロムス

ヒデ

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