【エッセイ】社会人になってから

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社会人になってから数年が経つ。

大学生時代、「このままじゃ社会でやっていけない」と焦燥感に駆られてアルバイトやら就活講座やら委員会活動やらサークル活動やらに奔走していたが、悲しきかな、予感は的中していた。

端的に言って、私は社会不適合者だった。
何が得意だとか、苦手だとか以前の問題で、ちょっとした刺激に参ってしまったり不安になりやすかったり、困難な状況でパニックになるのを自分ではコントロールできない時点で、「社会で生きていくのに向いていない」存在だったのだ。

最初に勤めた先がブラックだったのが運の尽き。
施設長が一時間、部下に向けて延々と説教を繰り返す会議が印象的な職場だった。1年はどうにか勤めたが、理事長の著書にスタッフ全員が感想文の提出を命じられた段階で、危険を感じて辞めた。
既に何度もぶち折れていた精神はまたしてもへし折れ、辞めた後も延々とダメージを引きずった。

次に勤めた先もブラックだった。
転職活動をしながら、何度も自殺を考えた。私が勤めた時、大量募集中と求人に書いていたのに、転職活動中にまた大量募集をしていた時は闇を感じた。
6年間勤めた上役に同期がほとんど居ないほどの離職率、恐るべし。

今勤めているところは、とても優しいし良くしてくれるのだけれど、何度も折れまくった精神はコロナ禍に耐えきれなかった。
まともに出勤できない状態になる日も多く、またしても何度も自殺を考えた。

ここまで書いて思ったけど、私は社会不適合者って言うよりは純粋に運がないのではなかろうか。
むしろ頑張れている方なのではないだろうか。
なんて自己正当化をしたくなってしまうのだけど、自分に甘くするとそれはそれで不安が強くなる難儀な性格をしているのも事実なのである。

頑張りたくないし頑張ることにも疲れてしまったけれど、頑張らなければ生きていけないのも事実。
でもそこまでして生きていたいかと問われると、「はよ死にてぇ」って感情のがめちゃくちゃ強いのも事実。

生きるのって大変だね。
それでも、生存を望んでくれる人がいるのも事実だから、頑張らなければと思うのだけれども。

ここまで読んでくれて、ありがとうございます。
あなたに少しでも良いことがありますように。

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