【エッセイ】書けない

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小説を書くことは、私の人生の中で、かなり長い間重要な位置を閉めていた。
たとえ生きるのが苦しくとも、将来に困難しか見えなくとも、小説を書くことでどうにか生きようと思えた。精神状態が酷い時は、書くことで辛うじて生きていられているような感覚すらあった。

それだけ、私にとって小説は重要なものだった。
生業、生きがい。そんな言葉が似合うほど、必要不可欠な存在……だった、はずなのに。

書けない。
前兆はチラホラあった。けれど、書き続けることでどうにか目を逸らしていた節がある。
いつもの如く体調を崩して、体調不良により書けなくなった時は、体調のせいかとも思っていた。頭痛が酷ければ、書けるものも書けなくて仕方がない、と。

けれど、そうじゃない。
体調が少しばかり持ち直し、文章がある程度書けるように戻った時、ようやく真の原因に気付いてしまった。

創作を取り巻く底知れない恐怖……が、原因なのだろう。
昨今、コンプラだとか、ポリコレだとか、〇〇警察だとか、表現規制だとか、そういう話題を目にすることが増えた。
何かを書くたびに、楽しい感情を押し退けて「これは叩かれるんじゃないか」という思考が浮かび上がる。以前からその思考は頭の片隅に存在していたけれど、無視ができた。

けれど、恐怖は次第に無視できないほど強くなり、書くたびに底知れない恐怖が筆を鈍らせる。
いやいや、考えすぎだとどうにか抗っても、楽しみを恐怖が塗りつぶしてしまったのは紛れもない事実。

元から、私は人間を、ひいては人間社会を恐れていた。
決して嫌いではなく、むしろ好きだけれど、時には集団で危害を加えてくるし、その行動の源泉が悪意とは限らない(むしろ正義感だったりする)とても恐ろしい存在として認識していた。

創作の喜びがそれに勝っているうちは、まだ良かった。

書きたい。けれど書くのが怖い。
書くのは楽しい。けれど書くのが怖い。
書けないのは苦しい。けれど書くのが怖い。
私の作品は、少なくとも私にとっては確実に面白い。けれど書くのが怖い。
私の作品を、時にはお金を出してまで望んでくれている人がいる。けれど、書くのが怖い。

書けない。

私は、どうして、もっと心の強い人間になれなかったのだろう。


ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
あなたに少しでも良いことがありますように。


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