【エッセイ】社会に必要とされていない感じ

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「あなたは才能がある。自分を卑下しないで」と、言われたことがある。

確かに私は小説がある程度書けるし(今はスランプだから書けていないが)、声の活動もそれなりにしている方だ。

けれど、それで生活できるほどのお金を稼げている訳でもないし、周りには私の上位互換がいくらでもいる以上、突出したレベルの能力があるとも思えない。

それでも一応私に「才能がある」と仮定するとして、だ。
経験上、この社会で求められているのは、「安定して50点ぐらいのものを供給し続けられる人」だ。そして、私のように「時々100点を出せるが酷い時は20点以下」な人間はどこに行ってもお荷物になる。

これは悲しきかな、この資本主義社会で私が直面してきた現実だ。
面と向かって「社会人は利益を生み出し続けなければならない」と言われたこともある。

そんな社会の底辺であっぷあっぷしながら、今日もどうやったら生きられるのかと頭を悩ませている。
つらくてしんどくて死にたい毎日を生きてきたとしても、せめて私は誰かに優しい人であろうと、胸に刻みつけ続けたい。

優しくない世界に翻弄されてきたからこそ、優しい人間でありたいのだ。

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