【エッセイ】誰かの萌えは誰かの萎え

最近、こんな言葉を聞くことが増えた。

「眼鏡っ子の眼鏡を外すのは許されない」
「百合の中に男が介入するのは許されない」
「獣キャラが人間になるのは許されない」

あのさ、

「誰かの萌えは誰かの萎え」って言葉知ってますか?

「許されない」って何? あなたが許せないシチュエーションだとしても他の人にとってはめちゃくちゃ好きなシチュエーションかもしれないんだが???

しかも無神経なことにそういう言説を公式の広告にリプする輩も見かける。
その発言、下手したら作者に届くよ?? 大丈夫??? 何かを好きになるのは大事だけど盲目的になりすぎてない?? 思いやりの心失ってない???

こういうノリ、私は本当に大嫌いだ。
このご時世、自分の気に入らないものを「許されない」と滅ぼされる危険性はどんなジャンルにもあるのに、平気で自分の気に食わない作品には「許されない」と集団で圧をかける。

その行動こそ、私には「許されない」ものに見えてしまう。

あと、自分の趣味の違いで殺すとか戦争だとか異端審問だとか、無駄に過激な言葉を使う風潮は一体なんだろう?
本当に殺し合う気があるわけでもないだろうし、本当に趣味嗜好の違いで相手に危害を加えたいなら病院に行った方がいい。言うまでもないことだが、現行の法律で殺人は違法だ。警察の事情聴取で「性癖が許されないものだったので殺しました」とか言うのを想像してみて欲しい。私ならとてもアホらしいと思ってしまう。

ともかくだ。
自分の界隈で「正解」や「正義」とされているからって、それを理由に人を殴るのはやめた方がいいと思う。

私も昔軽く殴られたことがあるのだけど(そもそも百合作品でもないのに勝手に百合に解釈されて「男が介入するのは地雷」と言われた)、昨今の風潮を見ていると私を殴ってきた言説が過激に先鋭化しすぎて正直怖い。百合自体は好きなのに、百合過激派が怖すぎて下手に触ることができなくなっている。
だって殺されたくないし……。人によっては本気で人を殺しそうな勢いだし……。

もう既にファン層は構築できたし外からの新規参入なんていらない! 布教なんて必要ない! このノリについていける「本当に好きな人間」だけが残ればいい! と高をくくっているのかもしれないけれど、それ先細りして滅びるコンテンツあるあるのような……。

自分の好きなものの可能性を、自分で狭めて本当に満足なんだろうか。

愛があるのは結構だが、もう少し冷静になって欲しいと思う今日この頃だ。

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