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FIREないしFIROについて

給与等の収入に頼らなくても暮らしていくことができるだけの資産を形成し、早期に退職する暮らし方のことをFIRE(Financial Independence, Retire Early)というようです。
これに対し、給与等の収入に頼らなくても暮らしていくことができるだけの資産を形成できた後も稼働を継続する暮らし方のことをFIRO(Financial Independence, Retire Optional)というようです。
FIROが退職オプションを行使する前の状態、FIREが退職オプションを現実に行使した後の状態ということになるかと思います。また、いったんはFIREになったとしても、再び稼働を開始してもよいのであって、その場合はFIREからFIROに移行することになるのでしょう。このように、FIREとFIROは相互にいつでも移行可能で、本質的な部分に差異はないといってよいかと思います。

そして、FIROはもちろんのことFIREも、稼働すること自体を無条件に否定的に評価しているものではなく、自分のしたくない稼働から解放されて、自らの主体的な意思に従って生きていくことに主眼があるものと考えられます。自分のしたくない稼働を強いられるというのは確かに苦痛ですが、一方で、稼働することができるだけの気力や体力があるにもかかわらず稼働を拒絶し、ひたすらに遊び暮らすというような生き方が理想的な生き方かというと、私にはそうは思えません(あくまでも私はそう思うというだけで、他の人がそういった生き方をすることを批判したりするものではありません。)。
人間は社会的な生き物であり、仲間の役に立ちたいという本能的な欲求があると私は思っていて、本来、稼働することにはこの欲求を満たすという積極的な意義があるはずなのに、現代社会においては、生計を維持するための手段でしかないかのように矮小化されてしまい、本来有していた積極的な意義が忘れられてしまっていて、稼働は嫌なものであり、できるだけ回避したいというネガティブな考え方が蔓延してしまっているように思えます。

ところで、給与等の収入に頼らなくても暮らしていくことができるだけの資産を形成することは、自分のしたくない稼働から解放されるための確実な方法であるとは思いますが、多くの人の場合、それは容易ではなく、それを実現するために多くのことを犠牲にするようなことになれば、本末転倒になりかねません。
一方で、社会に必要とされるような技能や能力をしっかりと身につければ、自然と仕事が選べる立場になって、自分のしたくない稼働から解放されることになると思います。その意味で、「Financial Independence」は、必ずしも資産形成によってしか成し遂げられないものではなく、社会に必要とされるような技能や能力をしっかりと身につけることによっても成し遂げることができると思っています(実際に、この意味で「Financial Independence」を実現し、充実した人生を歩んでいる人はたくさんいると思います。)。

このように考えていくと、技能や能力によって「Financial Independence」が得られていれば、何も資産による「Financial Independence」を目指さなくともよいのであって、やはりしっかりとした技能や能力を身につけることが大切なのだろうと思います。

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