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自分を愛するということ

自分を愛するって思っていたより深かった。

「どんな自分も受け入れる」

だめな自分も
自分を責めてしまう自分も
他人をうらやましいと思う自分も
やる気のない自分も
他人を傷つけてしまう自分も
すぐに結果を求めて焦ってしまう自分も
周りと比べてしまう自分も
自己否定をしてしまう自分も
自分が嫌いになってしまう自分も
他人に優しくできない自分も
余裕がなくて周りに当たってしまう自分も
あの人が苦手だと思ってしまう自分も

自分を愛するって
自分の良いところだけじゃなくて
自分の嫌なところ、見たくないところも全部認めて受け入れることから始まるんだ。

自分の嫌だな、と思うところって
正直見たくない。向き合いたくない。認めたくない。
そんな自分がいるなんて。

だからこれまで見てこなかったのかな。
見たくないから。無意識にふたをして。見ないふりをして。
心の奥の奥では本当は知っていたのかもしれない。
こんなに黒い部分が自分の中にあることを。
でも認めたくなかった。見たくなかった。

今、それに少しずつ向き合う作業をしているみたい。
だからこんなに苦しくて逃げ出したくなるのかな。
自分の嫌なところと向き合うこと。
こんなに深くてエネルギーの必要なことだとは思わなかった。
色んな感情が湧き上がってくる。
喜怒哀楽。
ここまで感情を味わったことはなかった。

特に「怒」と「哀」。
自分の中にこれらの感情があるなんて。本当にびっくり。
正直その扱い方に戸惑っている。今も奮闘中。少しずつ消化できるように。

今までずっと
怒ってはいけない、悲しんでいる姿を見せてはいけないって感情を抑えこんできた。

なんでだろう。
気がついたらそうなってた。

だから仮に怒りを感じたとしても自分の中に飲み込んで決して外には出さなかった。
それが人として正しいことだと信じていたから。

でもそれは自分の声を無視すること。
自分の感情を無視していたんだ。

【私の心の中】
「わ、むかつくな。なんかいらいらするな。」
「いや、それはおかしいよ。そんな怒りの感情を感じるなんていけないことだよ。それは相手が悪いんじゃなくて私が悪いんだよ。私がこう感じることがおかしいんだよ。だからこの怒りは感じなかったことにしよう。」

こうやって怒りの感情が湧き上がったとしても、
自分を責めることでその感情を感じなかったことにした。

今考えるとこの自己対話がかなり偏っていて
おかしなことだと分かる。
でも当時はそれが当たり前だし、無意識にしていたことだから全く気がつかなかった。

でもようやく、その感情を感じる自分を受け入れられるようになってきた。
少しずつ。
まずはそう感じる自分がいることに気づけた。

「あぁ、私は今これに対して怒りを感じているんだね。
そっかそっか。」

こうやって自分に声をかけるようになった。
自分が感じた感情に意識を向けてあげられるようになった。

そうすると、
「あ、私のこと気にかけてくれてるんだ。気づいてくれた。嬉しい。ありがとう。」って私の心が私に心を開いてくれているのを感じる。

あぁ、そうか。どんな感情も感じていいんだ。
どんなことを考えてもいいんだ。
感じるまま。思いつくまま。
何でも話してみて。
何でも聞くから。

それは時に
自分では認めたくない感情や考えと向き合うことになる。
そんな時、
もう嫌だ。逃げ出したい。と以前の私が戻ろうとささやいてくる。

それでも
「大丈夫だよ。ゆっくりでいいよ。少しずつ向き合ってみようか。」って声をかけて時間をかけて少しずつ少しずつ向き合う作業をしていこう。

そうやってどんな感情にも真摯に向き合って自分と対話することで
本当の意味で自分を愛することができると信じているから。

だから今つらいと感じていても大丈夫。
苦しいと感じていても大丈夫。
その先にはあたたかな光が差しているから。

私には私がついている。



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