「さようなら、全てのエヴァンゲリオン」

はじめに

『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』を鑑賞してからというもの頭がぼんやりとしてしまって、特に感想をまとめることもせずこのままエヴァンゲリオンに別れを告げようかなとか考えてたんですけど、何もしていないとずっとエヴァのことを考えてしまっています。なので自分の気持ちを落ち着けるために素直に自分の思いを文字に起こしてみようと思いました。

考察・解説はもう多くの方々がやってくれているのでそういうのじゃなくて、あくまでも自分の気持ちを落ち着けるために。



参考にした記事

気持ちを整理するにあたって、映画の内容の細かい部分は下記のnoteを参考にしました。

【ネタバレ有り】最速!シンエヴァが理解できなかった人のための解説・考察

10分くらいで読めますので、「あのシーンで何が起こっていたのか分からない」とかそういう疑問についてはこちらを読んでいただければおおまかな流れや意味は把握できると思います。読まなくても、これまでのTV版、旧劇場版、新劇場版を一通り履修していれば1回見ただけでも今作でどういうことが起こってどういう結末を迎えたのかはふんわりと理解はできます。漫画版も履修しているとなお良いですね。



エヴァンゲリオンという物語の終わり方

シン・エヴァンゲリオン劇場版は虚構の世界(劇中ではマイナス宇宙と表現されていました)に存在するこれまでの全てのエヴァンゲリオンという物語を書き換えるという話でした。虚構の世界っていうのはまさしく我々ファンが妄想したエヴァンゲリオン作品も含まれているはずです。

エヴァは見た人の数だけ解釈があります。エヴァアディクションを拗らせてしまった我々が「あーでもねーこーでもねー」って今まで言い続けてきた各々の解釈のエヴァも含めて全てのエヴァンゲリオン作品を終わらせてくれたんだと思います。

その中で今回ゲンドウは旧劇場版(Air/まごころを、君に)でシンジが望んだ他者の存在する世界ではなく、みんなが1つになる世界を望んだようです。旧劇場版と同じ願いがそのままシンエヴァでもゲンドウの願いだったようです。1つになった世界でやはりユイと会いたかったようです。目的は変わってないようだったので分かりやすかった。

最後の親子喧嘩によって世界の新たな創生(ネオン・ジェネシス)をする前のシンエヴァの世界はどうなってしまうのかちょっと考えました。
シンジはアスカ・レイ・カヲルを虚構の世界から逃がすために各々と向き合いました。特にアスカとの対面が意味深でしたね。
旧劇場版の最後のシーンで目覚めたアスカは大人の体になっており、14歳の自分が着ていたプラグスーツがぴっちぴちでところどころ破けているあの色っぽいシーンです。恐らく新劇場版の設定の『エヴァの呪縛』が解けたことを表しているのでしょう。旧劇場版のアスカが救われたとも考えられます。
シンジに「僕も好きだった」と言われるわけですからね。アスカもシンジほどじゃないにしろとてもつらい目にあってきて、最後の最後にシンジの思いを聞けたのは素直に嬉しかったことでしょう。

余談ですがなんかこのシーンはやけに絵が他と違ってましたね。色合いとか、トーンっていうのかな? おおよそ28歳くらいのアスカなわけですがムッチムチでやけに色っぽく描かれてて逆に違和感あって笑いました。

旧劇の時はシンジがアスカに手をかけようとしていましたが、今回は穏やかに分かれることができました。ですが・・・

シンジ「さよならアスカ、ケンスケによろしく」
マリ「姫、お達者で」

このあとアスカは恐らくシンエヴァの世界で目覚めています。
旧劇のシーンだったので旧劇の世界でアスカが救われたのかな、と解釈してたんですが、「ケンスケによろしく」なのでケンスケと結ばれたシンエヴァの世界のことだよね、と。

シンエヴァの世界すら無かったことにするなら「ケンスケによろしく」ってどういうことだったんだろうなって思いますが、ここはあくまでもまだシンエヴァ世界での出来事の話であり、シンエヴァの世界に生きるシンジがシンエヴァの世界に生きるアスカに言った別れのセリフだからアリなのかなと思うことにしました。

そして、渚で一人佇むシンジのもとにマリが迎えにきます。加持さんによる『渚』の名前の解釈、素晴らしかったですね(「渚とは海と陸の狭間。第1の使徒であり、第13の使徒となる。人類の狭間を紡ぐ貴方らしい名前だ」)。

その渚でどんどん作画が1枚の白紙に戻っていくような演出は「虚構の世界と共にエヴァンゲリオンという物語が消えていき、現実の世界に我々(視聴者)も戻っていく」気配がします。シンジくんたちにとってはそれまでの全てのエヴァンゲリオンの世界が消えていき、最後の駅のシーンで現実(ネオン・ジェネシスの世界)に到達します。

駅では向かい側のホームにアスカ・レイ・カヲルがいます。
シンジがいるホームにはシンジ・マリがいます。
もしかしたらシンエヴァの世界は残ってるんじゃないのかな、向こうはシンジとマリが消えて、残りのみんなは修復された世界で生きているんじゃないのかなとも思いたくなるシーンです。

また、カヲル=ゲンドウのクローン説を採用したとすると、向かいのホームでレイ(ユイ)とカヲル(ゲンドウ)がまるでカップルかのように描かれていました。ここはしんどいほど感動しました。
ユイが最後にシンジのかわりにヴィレの槍に貫かれる(初号機とともに破壊される)役を買いシンジを送り出したとき、ゲンドウがユイを背後から抱きしめているような描写がありました。あの世界で最後の最後に二人が再開できた続きを、レイとカヲルが現実(ネオン・ジェネシスの世界)でやってくれるのだとしたらこんなに幸せなことはありません。私は予てからとにかくカヲルに幸せになってほしい!とだけ考えていたので、円環から抜け出すことができたカヲルを見れて安心しました。ただしユイについてはいろいろ言いたいことがあるのであとで書きます。

そして成長したマリとシンジが駆けるシーン、私は『マリはシンジを虚構の世界から助け出した存在であり、ネオン・ジェネシスの世界への導き手』と解釈しました。これは『マリEND』という単純な表し方をしたくない自分の苦し紛れの解釈です。マリはあくまでもエヴァンゲリオンという作品を破壊(救済)するデウス・エクス・"マキナ(ミ)"というポジションだったことは間違いないと思います。これは大方の考察通りでしたね。

駅から出たらアニメではなく現実の世界が待ち受けています。そこで二人の手は離れます。シンジを新しい世界に送り出す導き手と解釈する余地もなくはないと思います。
マリが最後にシンジのDSSチョーカーを外してこれまでシンジが背負ってきたもの全てをなくしてくれる演出も素敵です。このあたりでOne Last Kissが流れ始めてきて「あぁ・・・もう終わっちゃう・・・」って急激に悲しくなってしまいました。


こうしてすべてのエヴァンゲリオンとお別れとなりました。
最初は「え~、マリENDかぁ」と表面的な結果しか見てませんでしたが、2回目の鑑賞で各キャラのセリフをじっくりと考えながら見てみると綺麗な終わり方をしたなという印象に変わりました。誰ENDとかいう次元の話ではなく、エヴァンゲリオンという作品自体のTRUE ENDという感じでしょうか。Qのあの終わりからよくたったの1作品でここまでうまくまとめたものです。

実写世界に飛び出たシンジとマリはアニメ絵のままです。「これまでのことを忘れないままで、でも違う世界でも頑張ってね」、「思い出を大切にしていれば、エヴァから離れても大丈夫なはずだよ」っていうメッセージでしょうか。
少なくとも旧劇の首絞めや犬の死骸の絵や観客の晒上げや「庵野〇ね」の羅列などを映す頃の庵野監督のメッセージではないなと。明らかに監督からのメッセージがマイルドで前向きなものになってました。あのときは「こんなアニメ1つになにマジになっちゃってんの?w」って感じもありました。
旧劇は私のイメージでは「」「孤独」「拒絶」「」みたいなワードが浮かぶんですが、新劇場版は特に村のシーンが生き生きとしているからか「」「集団」「許容」「邂逅」「有るものを大切にする(人であったり命であったり環境であったり縁であったり様々)」みたいな前向きなメッセージだと受け取りました。

これまでのエヴァンゲリオンも信者が勝手に妄想してるエヴァンゲリオンも全部エヴァンゲリオンイマジナリーだったんだと。これこそがエヴァの呪縛だった。エヴァを産み落としておきながらそのエヴァから与えられた庵野監督の苦悩は想像を絶するものだったでしょう。日本のアニメ史におけるエヴァの立ち位置であったり、エヴァを作った責任はあまりにも大きい。しかし、全部消えるけどそれらを「忘れなくていいよ」ってことだったのかなぁ。

『もういっぱいあるけど もうひとつ増やしましょう 忘れたくないこと』

エヴァってエヴァを考えること語ること議論すること悩むことが1つのコンテンツになってしまっていて、宗教になっている部分があります。その中でさらに人それぞれ自分だけのエヴァを思い描くし、思い通りにならなかったらギャーギャー騒ぎ散らかします(まさに私のことです)。けどそのことを忘れなくていい、なかったことにしなくてもいいと。

私はこれまでにしてきたエヴァの考察とか、味わった感動とか、出てきた愚痴とか、不満とか、謎とか、忘れないままでいたいです。そんな終わり方だったように思えます、エヴァンゲリオン。エヴァを忘れることなんでできそうもありません。

アスカ「それって好きってことじゃん!」

はい。エヴァ好きです。



キャラクターへの思い(語りたいキャラのみ)

シンジ
Qであんな目にあってるのにアスカは相変わらずだし、アスカが友達に寝取られてるし、もう全部嫌になって拒絶してもその友達は優しくしてくるし、加持さん死んでるし、とにかくかわいそうでした。前半は。
特にアスカからの当たりの強さというものはそれはもう酷いものでQあたりからずっと「いい加減にしろよコイツ」とずっと思ってました。私はレイ派のカプ厨なのでアスカに当たりが強いです、ごめんなさい。

村での出来事はQでカヲルくんが示してくれていました。
カヲル「シンジ君は安らぎと自分の場所を見つければいい。縁が君を導くだろう。」
まさしくシンジのこれまでの縁が彼を助けてくれました。ただあんなに絶望的な世界であんなに息苦しい場所なのに人々がみんな笑って生活できてることはすごいなと思いました。誰か鬱になってたり発狂してる人が1人くらいはいそうなものですが。14年という歳月でみんな鍛えられたんですかね。

村のシーンは庵野監督のメッセージがこれまでに比べて随分明るく健やかだなと思いました。生きること、生きてやらなきゃいけないこと、みんなで支え合うこと。

シンジが虚無ってる間、アヤナミレイ(仮称)=黒波は彼とは反対に短時間で様々な成長を見せてくれます。生きるために自分ができることを自分でやらなきゃいけません。
黒波「ここでは生きられない」
生きていけるところで精一杯生きている人たちの村でシンジも立ち上がります。ここら辺からシンジくんじゃなくてシンジさんになったなって感じ。

そしてヴンダーに戻るとあのアスカのむかつくシーン(後述します)ですよ、キィィィィィィィィィィィィ!!!!!いやになっちゃうわねまったくもー!!!!!

そしてこの先はゲンドウと対峙するまで出番がありません。お父さんの脳みそブチまかれるところ、見てたのかな・・・。
最後にミサトと和解できてよかったですね、ミサトに抱きしめられるのを素直に受け入れてました。あんなに酷いことされたのにね、もうゲンドウやミサトよりもよっぽど大人です。

電車でゲンドウと向き合うシーン。TVシリーズから電車の中はシンジの精神世界を表現していました。
ゲンドウ「私は私の弱さ故にユイに会えないのか」
シンジ「その弱さを認めないからだと思うよ、ずっと分かっていたんだろう?  父さん

ゲンドウ「他人の死と想いを受け取れるとは・・・大人になったな、シンジ」
ゲンドウ「すまなかった、シンジ・・・」
自分の弱さと、シンジが大人になったことを認めたとき、電車の中でゲンドウはユイを見つけます。シンジの精神にはずっとユイがいたのです。最後の最後でユイと出会えましたね。しかもインパクトで無理矢理出会ったのではありません。これがハッピーエンドじゃないというならなにがハッピーエンドなのでしょうか。ゲンドウがユイを見つけることができたのは、ユイを抱きしめることができたのはシンジが成長したおかげです。サンキューシンジフォーエバーシンジ。素晴らしい親子喧嘩でした。

全てが終わってシンジはで佇んでいます。現実と虚構の狭間、虚構の世界の作画が白紙に戻っていきます。
マリが八号機から飛び降りて着水、水面に出たときにプラグスーツから制服になっていたのはエヴァとのお別れの印でしょう。最後まで細かい演出がなされていて、納得の結末でした。

(最後のシンジの声が神木隆之介になってましたね。『新しいシンジが生まれたよ』の表現だとは思うんですが、それならマリも声を変えなければいけなかったのでは・・・?と思いました。みなさんはどう思ったでしょうか。)


アスカ
式波アスカという独立した人間じゃなくてレイと同じ"シリーズ"の存在だったことには驚きました。こういう考察してた人は多くないんじゃないでしょうか。

しかし私はQからアスカが嫌で嫌で仕方なくて今回も「相変わらずシンジに対して酷いな・・・」ってなりましたが第9使徒化のシーンは信じられないほどかっこよかったです。秒で負けてましたが。というかヤマト作戦が最初から最後までかっこよくて鳥肌が立ちました。
このシーンはとにかく短時間にいろいろな情報が凝縮されていてついてくのに必死でした。「目から封印柱!? 第9使徒!? エンジェルブラッド!? 式波タイプ!? 式波のオリジナル!?」と、とにかく一気にアスカの情報が攻め寄せて今作でもっとも視聴者がヒートアップした瞬間でもあったのではないでしょうか。BGMもすごくかっこよかったことを覚えています。

最後のエヴァは神と同じ姿。さぁ、こちらへ・・・(中略)・・・無駄よ、おバカさん
ここ、なんでオリジナルのアスカが第13号機への融合を誘うようなポジションだったんでしょうか。
とにかくここのちょっと前の二号機&八号機の発艦からこのシーンに至るまでの流れはBDが発売されたら何度でも見たいと思えるシーンでした。個人的にはここが作中で一番興奮しました。

ところで、シンジのことを散々バカ餓鬼と罵ってたけど私からしてみればアスカの方がよっぽど子供っぽいことしてたなと思います。
アスカ「あの頃はシンジのこと好きだったんだと思う。でも、あたしが先に大人になっちゃった。」
これって見事に女の嫌な性格を表現したセリフですよね。男はそういうことしないですけど、女ってわざわざ元彼に結婚報告したり、今彼とうまくいってるアピールしたり、「でも今彼に悪いから・・・」とか言ってとにかく「私はノーダメだけど?w」っていう『あんたの方が下にいる』アピールをします。男の価値感は絶対的・女の価値感は相対的を地でいくようなセリフです。
先にシンジに「好き"だった"」って告げる余裕ぶってる感、「先に大人になった」っていう見下し感。事実ではあるもののその大人がいうセリフではない。子供のままだなって思います。

アスカ「だからあたしを褒めて。あたしを認めて。あたしに居場所を与えて。本当は寂しい、本当はただ頭を撫でてほしかっただけなの。」

結局シンジがいない14年間で心の隙間を埋めてくれたのがケンスケだったってだけで、シンジじゃなくてもよかった。自分に優しくしてくれたのがケンスケだったってだけ。
おまけに旧劇場版のラストシーンで成長した姿のまま目覚めるところでシンジに好きだったと言われて赤面しています。わがままで、一方的に愛が欲しかったアスカ。人(シンジ)のこと言えないですね。加持さんが死んだことで父性を求める対象がケンスケにうつったのでしょう。
あの時はシンジと分かり合えそうもなかったけど、今回は「好きだった」の一言で救われたことと思います。誰かに褒めてほしかった、愛されたかったアスカはここでエヴァの円環から抜け出します。

余談ですがマリがアスカのことを「姫」って呼んでたのはなにか理由があったんでしょうかね。カヲル曰く
ゲンドウ=リリンの王 なので シンジ=リリンの王の息子=王子
てっきり何か意味があるんじゃないかと思ってました。ゲンドウの「王」はネブカドネザル王からとった表現とかなんでしょうか。


レイ
【アヤナミレイ(仮称)=黒波】
レイ派の人間なので猫見てるシーンとか田植えしてるシーンはかわいいいいいいいいいいいいいいいいいいい♥♥♥♥♥♥♥♥ふにゃぁああああああああああああああぁぁぁん♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥って感じで見てました。
機械的だった黒波が生活の中でどんどん人間的になっていくのはまさに破のポカ波を見てる時と同じ。

シンジのところでも書きましたが、仕事や人を通して様々な感情が芽生え始めた黒波はシンジ復活のキーになります。
黒波「碇くんもここで何もしてない。あなたもこの村を守る人なの?」
黒波「ありがとう、話をしてくれて。これ、仲良くなるためのおまじない」
黒波の成長(といっていいのか分かりませんが)がなければシンジの復活もなかった。村がなくて黒波が何もせず機械のままならどうなっていたんでしょうね。

しかし結局「ここでは生きられない」黒波はLCLになって消滅します。まだ色々やりたかった、話したかったそうですが消滅します。
つい数日前にあんな大変なトラウマを植え付けられたシンジです。また笑うようになったアヤナミが目の前で弾けたら今度こそ廃人になりそうなもんですが、ここでは乗り越えています。以前のシンジなら確実に逝ってると思いますが、今度のシンジは強そうだと思わせてくれました。

ツバメに対しては最早母性が目覚めていたような気配すらありましたが、遺伝子が母親なので無理もないなと思います。

【綾波レイ=破までのレイ】
大方の予想通り初号機の中にいてくれました。14年エントリープラグに籠りっぱなしで髪の毛ボサボサ伸び放題だったのでボサ波とでも呼びましょうか、かわいかったです。すっげーかわいくなってる、はっきり分かんだね。
Qの冒頭でシンジが初号機とのシンクロ率0%だったのはやはりレイがシンジを乗せないために拒絶していたのでしょう。14年ぶりなのにあの時の気持ちを忘れずにいてくれたんですね。
しかし、強くなったシンジはエヴァを必要としない世界を創ります。エヴァに乗ることだけでしか必要とされてないと思っていたシンジですが、もうシンジにはエヴァがなくてもちゃんと生きていけます。
「碇くんがもうエヴァに乗らなくていいようにする」と願っていましたが、もうそう願う必要もなくなったレイはここでエヴァの円環から抜け出します。

シンジの記憶をもとに様々な場所を映し出すスタジオではツバメに見立てた人形を抱いてました。かわいい。でも怖い。でもお母さんそのものだしなぁ。
こちらのレイは今回出番がほとんどなかったのですが、ネオン・ジェネシスの世界でカヲルとよろしくやってるようでした。カヲル最推し且つレイ派の私にとってはこれ以上ない結末だったので文句ありません。アダムとリリス、ゲンドウとユイ。末永く幸せになってもらいたい。


マリ
"デウス・エクス・マキナミ・マリ・イラストリアス"さん。
冬月先生は「イスカリオテのマリアくん」と呼んでいました。イスカリオテは聖書のユダ(裏切者)のことなので、大方の事前の考察の通り『ゲンドウ・ユイとは漫画版の通りの関係性で、元々はゲンドウ(ネルフ)側の目的を共有した人間だけど、最終的には敵対(裏切り)するヴィレになった』ので、マリにとってのイエスはユイだったんだなと。漫画版で描き切れてなかったことが一気に繋がった感じがします。(エヴァンゲリオンという作品自体のイエスはもちろんシンジ(神児=神の子)です。シンジが主人公で世界を救うので当然です)
最初はなんのためのキャラなんだろう、ポジションがよく分からないなとしか思わなかったんですけど、終わってみるとすっきりしましたね。

しかし破の冒頭の「初めてなので、日本語で」のセリフの意味は気になっているので教えてほしいなというのが正直なところです。

正直登場からずっと苦手で、最後に特別な役割を与えられてたキャラだって把握するまではずっとエヴァンゲリオンをいう作品の中では浮いた存在だったなって印象です。破で二号機に乗ってビーストモード発動したときはかっこよかったです。
漫画版でユイに嫉妬してた頃の性格のほうがかわいいなと思います(ユイに嫉妬してたんだかゲンドウに嫉妬してたんだか忘れてしまいました)。

前述しましたが、私はマリENDという捉え方はしたくないので『虚構の世界からシンジを助ける導き手』と解釈しました。あくまでもデウス・エクス・マキナ的立ち位置であり、ヒロインとして数えたくはないです。超個人的な感情による意見なのでスルーしてください。


カヲル
また会えて本当に良かったです。私はQのラストでシンジが第13号機から飛ばされた際、第13号機とともに遠ざかっていってしまうカヲルのシーンが悲しくて悲しくてつらいです。今でも涙がホロリと。「また会えるよ」と言っていたとおり、会えましたね。

カヲル「エヴァを捨てるか・・・すまない、僕は君の幸せを誤解していた」
シンジは既にカヲルが幸せにするまでもないほど強く逞しくなっています。シンジを幸せにしなければ、という円環から抜け出しました。

最後の加持さんの「渚司令」については諸説あるみたいですが、どれもあまりしっくりきません。

①ゲンドウの後釜でネルフの司令についた
ニアサー後、行方をくらましたゲンドウの代わりに司令についた説。
カシウスの槍で初号機を止めたあと、加持さんと一緒にセントラルドグマの最深部で覚醒したリリスの首を落とし、自律型にしたMark.06もろとも封印する。ドグマに乗り捨てられたVTOLがあったので、これはシンで加持さんがミサトを残してMark.06と一緒にドグマへ向かった証拠となりそうです。
しかし、カヲルはニアサーを止めた側なのにネルフと仲違いしたミサトたち(のちのヴィレ)とは違いネルフに残る。なんでミサトたちは放っておいたんでしょうかね。ここでQのカヲルは死んで次のカヲルがネルフに戻ってきたゲンドウの下についた、という説もありますね。可能性の話をするときりがないです。
しかもQのラストでフォースが未遂で終わったとき、リツコは「誰のおかげか分からないけど、フォースは止まった。今はそれでよしとしましょう」と言ってます。カヲルが止めてくれたって線を浮かべないあたり、ヴィレ側でのカヲルの認識ってどうなってるの。そもそも認知されてるのってレベル。

②ユーロネルフの司令
ゼーレの差し金でユーロネルフの司令についていたので、ユーロ付きの加持さんがネブカドネザルの鍵をくすねてくる段取りができていた。なるほど。
でも加持さんの畑で
加持「葛城と一緒に老後は畑仕事でも、どうです?」
カヲル「そうだね、それもいいね」
と会話しています。架空の2人が話をしてるんじゃ?と言われればそれまでなんですが、ユーロネルフの司令がわざわざ日本にきてニアサー止めてサードも止めるために奮闘するんですかね。

Q上映後の予告(幻覚)ではカヲルがゲンドウっぽい服をきてるシーンが描かれています。

画像1

画像2

コンテ集には「渚 4人の綾波」と書いてあるそうです。
この4人の綾波っていうのはシンエヴァで冬月先生がいっていた「アドヴァンスド綾波シリーズ(でしたっけ?)」の4人のことだと思います。ヤマト作戦でゲンドウがアディショナルインパクトを起こすためにつかった仮面を被ったエヴァたちに乗せたものと思われます。とにかく、ずっと日本にいそうなのでユーロネルフ司令の線はどうなんでしょうね?

これについては考えてもきりがないので今後何回か見て理解を深められればそうしたいですし、無理そうならBDに設定資料集でもついてくるのを期待したいです。


ゲンドウ
今作が素晴らしい出来になったのってこの人のお陰だから、って感想に尽きます。旧劇のとき、とにかく真相が読めない・多くを語ってくれないので色々と悩まされました(だからこそ色々考察する余地があって楽しめたということでもあります)。今作ではたっぷりとシンジと向き合ってくれました。

リツコに撃たれてバイザーとれた時の衝撃ったらないですね。そうそうこれこれ~!!!こういうのが見たかったの~!!!
ネブカドネザルの鍵って注射器みたいな形をしていたので『自分の魂を抽出・保管し、エヴァに魂を入れる装置』みたいな役割だと思ってましたけど、当たらずと雖も遠からずって感じでしょうか。
ネブカドネザル王の話はバベルの塔を登って神と等しくなろうとするところの話なので、やはりゲンドウが神(第13号機と同化)になることでユイ(初号機)に会おうとしたってことなのでしょう。

目的は旧劇の頃と変わってないようです。シンプルに「ユイと会いたかった」。前回はユイに「お前シンジが怖ぇーんだろw」みたいに煽られてたような記憶がありますが、今回はユイが普通の優しいママ的扱いを受けていたのでユイに拒絶された感じもありませんでしたね。

ゲンドウ「他人の死と想いを受け取れるとは・・・大人になったな、シンジ」
ユイとの離別も、「シンジをよろしく」という想いも受け入れられなかったゲンドウ。一方でミサト(を含めたこれまでの仲間)の死も、ゲンドウをなんとかしてくれという仲間の想いも受け止めたシンジ。
ユイの願いを叶えることもせずただ自分のためだけに生き続けたゲンドウにとっては、シンジの成長はとてつもない衝撃だったでしょう。

ゲンドウ「そうか・・・そこにいたのか、ユイ」
ユイはシンジの中にいました。ずっと求めてたユイはシンジその人だった。ユイと自分の繋がり、ユイとの愛。それがシンジ。ずっとユイを探していたようで、ずっとユイを遠ざけていたんですね。すごく単純なことだったようで、でも確かに自分がゲンドウの立場だったら見つけられなかったかもしれません。
旧劇ではゲンドウは補完されないような描写でしたが(初号機に喰われてた)、今回はユイを見つけることができたので自分の意志で電車を降りられたのでしょう。

最後にヴィレの槍を刺すとき、ユイを後ろから抱きしめるシーンで遂に泣いてしまいました。旧劇からようやくゲンドウが救われた気がして安心しました。いやぁよかった・・・。


ユイ
お前今回なんもないんか~~~~~~~~~い!!!!!
旧劇の時みたいな野望とかないんか~~~~~~~~~~~い!!!!!
宇宙に飛び出して行ったりしないんか~~~~~~~~~~い!!!!!
普通の優しいお母さんでびっくりしましたね。ただただシンジを傍で守ってくれていたお母さんでした。

旧劇ではこの人が結構な厄介もので、『サルベージ計画は実行されたものの遺伝子情報だけが手に入っただけで肉体は戻ってこなかった』って設定でした。それはユイが『エヴァの中に残り、地球という星で人類という種がいたんだということを宇宙に永遠に残す』ために自分の意志で初号機に残り続けたために(諸説アリ)、「お前がちゃんとサルベージされてればこんなことにならなかったんじゃないの!?」って突っ込まれることになります。言っちゃ悪いけど旧劇の悲劇の元凶・・・なのかな・・・?

今作ではお母さんとの対話などはなく、いつかシンジを守るためにずっと初号機の中でシンジを見守っていてくれたという設定だったようです。そのいつかが以下のシーンだったわけですね。
ネオン・ジェネシスの世界に到達するためにはこれまでに全てのエヴァンゲリオンを破壊しなければならない。しかしシンジが初号機と∞%のシンクロ率に到達してしまっていて、初号機の破壊=シンジの死亡=シンジはネオン・ジェネシスの世界に到達できない という式になってしまいます。
シンジは覚悟を決めたようですが、ここでなんとユイがシンジの代わりに初号機と共に貫かれる(初号機の依代)になります。シンジを送り出します。

シンジ「誰・・・? 綾波・・・いや、違う」
シンジ「そうか・・・この時のために、ずっと僕の中にいたんだね・・・母さん」
シンジ「やっと分かった。父さんは、母さんを見送りたかったんだね」

はい号泣。今作でユイがただただ「息子を愛するお母さん」でいてくれて本当に良かった。

ここで思い出すのがやはり破のゼルエル戦前のあのシーンですね。ゲンドウが初号機にダミープラグを入れようとするんだけど初号機が受け入れないシーン。
ゲンドウ「何故だ、何故私を拒絶する。ユイ。」
あぁ、やっぱりお母さんが怒ってたんだ。「わたしの息子になにしてくれんのよ」って意味だったんだ。息子に友達を殺害させようとしてたんですからそりゃ怒ります。夫婦喧嘩ですね。

だいぶ前から『新劇場版はシンジとゲンドウの壮絶な親子喧嘩の話』って予想してた人もいましたけど、ざっくりと見るとそんな印象でした。
このシーンがシンエヴァで言いたかったことを象徴するシーンの1つでもあったと思います。

ゲンドウ・ユイ。初号機を抱きしめた第13号機は一緒に槍で貫かれます。でも、妄想の中でくらいネオン・ジェネシスの世界で仲良くやってる二人を想像してもいいですよね。


加持さん/加持リョウジ
加持リョウジ(Jrのほうです)があのシーンで作業服の背中に書いてある『R.Kaji』を見せた瞬間、加持さん!!!!!!!!ってびっくりしたんですけど、直後に声が違うので「あぁ・・・死んだのか・・・」って一瞬で察しちゃうシーンでしたね。まさかQの時点でミサトさんが経産婦だったとは。破の直後くらいに妊娠が発覚してたっぽいですね。

ミサトさん、ゲンドウとシンジの関係性を傍で見てきたのに自分も子供を遠ざけるっていうゲンドウと同じ選択をしちゃってるの、寂しくてとてもいいですね。だからシンジにも強く当たってたわけですが、ミサトさんの愛故でした。

加持さんは前述しましたがカヲルの右腕として動いたのでしょうか、サードインパクト阻止のために一緒にセントラルドグマまで行ったようです。Qでシンジ・カヲルがセントラルドグマに行ったとき乗り捨てられていたVTOLがまさか加持さんを表していたとは。ここ結構多くの人が色んな推測をしてて楽しかったです。

加持「渚とは海と陸の狭間。第1の使徒であり、第13の使徒となる。人類の狭間を紡ぐ貴方らしい名前だ」
最後の最後まで歩く名言製造機でした、ありがとうございました。

『すいか🍉』

・・・は? あんな意味有りげな予告見せておいて『すいか』て。
って一瞬思考止まりましたけど、加持さんの願いだったんですね。
ユイの思想の設定を加持さんに流したように思えなくもない。
シンエヴァ公開前にわたしはツイッターで「ヴンダーは新劇場版世界の次に創造されるであろうシン世界に行くための箱舟的な役割がある」と予想してたんですけど、いい線いってたなと自分では思ってます。

あの色んな種を保存しておく装置みたいなの、宇宙空間でタンポポの綿毛みたいなデザインで開かれたのでおぉ~ってなりました。まさに種を飛ばすためのもの。頭皮マッサージ器みたいなの。

余談ですがヤマト作戦でヴンダーが黒ヴンダーと戦うとき、惑星大戦争のBGMで「庵野・・・またか・・・」ってなっちゃいました。相変わらず趣味丸出し。貴方ほんとに戦艦バトル好きねぇ!? 庵野英明という人のことをなにも知らない若いアニメファンが見たら「は?」ってなってしまうような雰囲気に一気に変わってしまってますよね。
友達と話してて友達の意見に同意したんですけど、庵野監督にとっての「その世界を壊す」の手法が「アニメの中で実写をやる」という手段しかない、悪く言えばレパートリーがない。なるほど。

エヴァも終わったしシンゴジラのヒットで味をしめて今後は実写で特撮趣味丸出しの作品でも作るんでしょうか。ナウシカ2は!?とりあえずシンウルトラマン楽しみにしてます!


トウジ/ヒカリ
なんというか普通にいい大人になってて普通だなと思いました、いい意味で。委員長と結婚してたのは驚かないけど、その委員長とレイのやりとりが重要なものでしたね。「〇〇のおまじない」、これ今作を語るうえで重要。
書くこと少なくてごめんなさい。


ケンスケ
ケンスケについて色々書きたいことあったはずなのに、ここまでたくさん書いたせいでもうその気持ちも落ち着いてしまいました。

ケンスケ「碇、ニアサーも悪いことばかりじゃない」

そりゃアスカと懇ろな関係になっちゃってるからねぇ!?美味しい思いしちゃってるもんねぇ!?!? あたしはレイ派だからノーダメだけどな!!!
でもあたしどうしようもないほどのカプ厨だからねぇ!!!どうせそういう関係性を見せられるんだったら主要なキャラであってほしかった感は否めないねぇ!?!?加持さんになんとかしてほしかったけど死んでるんだったら仕方ないわね!!!!!!!!!!人目を避けるようにひっそりとしたとこで二人で暮らしてやがってよ!!!!!!!!!!!ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa

冗談はさておき2人の友達のおかげでシンジは立ち直る時間ができました。
シンジ「守ってなんかない、何もかも僕が壊したんだ。もう何もしたくない、話もしたくないんだ!もう誰も来ないでよ!僕なんか放っておいてほしいのに・・・! なんでみんな・・・こんなに優しいんだよ・・・!」
第3村のシーン、ちょっと無駄に長いかなと思ったけどシンジを取り巻く環境がいかにシンジの変化に影響を与えてるのかが分かるので必要な時間でした。この村の近くに落ちてなかったらどうなってたんでしょう。

ケンスケ「お前の親父は生きてるだろう、無駄と思っても一度は会ってきちんと話せよ。後悔するぞ」

めっちゃ個人的な話ですが、わたしの父は還暦前に死んでます。仲がいいとは言えない親子関係だったんですが、わたしがもうちょっと早く大人になって父に歩み寄れてれば、父に対してそれまでとはなにか違う思いが芽生えていたのかな、とか考えてしまいます。


ミサト
とにかくQでの変貌っぷりについて理解できたのでよかったです。
事情と立場があるとはいえ子を遠ざけてしまったの、ゲンドウと同じことをしてしまっているなと思いました。
ネルフの大人って基本変な人しかいないけど、この人ほど劇中で喜怒哀楽がはっきりしてて人間らしい人、他にいないんじゃないでしょうか。
髪をかきあげたときはキタキタキタキタ~~~~~~~~!!!!!です。

ミサトは今作もこれまでにおいても、シンジに最後に思いを代表して託すという役割があります。

旧「いい、シンジ君。もう一度エヴァに乗ってケリを付けなさい。エヴァに乗っていた自分に、何のためにここにきたのか、何のためにここにいるのか、今の自分の答えを見つけなさい。そして・・・ケリを付けたら、必ず戻ってくるのよ。行ってらっしゃい・・・大人のキスよ。帰ってきたら続きをしましょう」

序「今一度、日本中のエネルギーと一緒に、私たちの願い、人類の未来、生き残った全ての生物の命、あなたに預けるわ。頑張ってね」

破「行きなさいシンジくん!誰かのためじゃない!あなた自信の願いのために!」

Q「あなたはもう、何もしないで」←笑うところです

シン「必ずサポートする。頼むわ、シンジくん。行ってらっしゃい・・・」

どの作品でも最後にシンジに思いを託すのがミサトなんですね。ある意味でシンジの親の代わりをやっています。
旧劇でも新劇でも最後に死んでしまう運命なのはちょっと悲しかったです。シンでは救われてほしかったけど、その救われた形をリョウジとして残したのかな。


ミドリ/サクラ
ミドリは分かりやすくシンジにヘイト向けるポジションでした。シンエヴァでミサトは贖罪の意味もあってのシンジの過保護(いつでも殺害できる状態にしておくのを過保護と表現していいのか分かりませんが)がヘイトっぽく描かれていたというのが判明しました。実はシンジのことをちゃんと思っていてくれたんですね。
しかしミドリは純粋にシンジのことを憎んでいる様子。殺してやりたい、くらいの勢いだったんじゃないでしょうか。CV:伊瀬茉莉也の素晴らしい演技もあいまって非常にウザい。

ミドリ一人にヘイト向ける役を担ってもらうのはかわいそうだと思ったのか、サクラもそれっぽいポジションでした。
「世界をめちゃくちゃにされた」「お兄ちゃんが大変な生活を強いられている」「でも悪気があってそうしたわけじゃないのは分かってる」「この絶望的な状況を救えるのもシンジだけと分かってる」
喜んだり怒ったり泣いたり笑ったり色々な感情を見せてくれます。

ヴィレクルーはみんな大人で死線をかいくぐってきた猛者なのでこの状況下でも団結しています。でも若いミドリやサクラはそうじゃありません。世界がこんなことになってしまって、自分も命を懸けて第一線で働いて、でも目の前に混乱の原因のかわいい男の子の顔した仇がいて。普通の女の子なら感情ぐちゃぐちゃミキサー状態です。二人はそういうポジションを担ってくれていましたね。



ヤマト作戦

文句なし!最初から最後まで手に汗握るかっこいい戦いでした!
特にMark.07の大群出現からアスカの第9使徒化、Mark.10のヴンダー乗っ取りあたりは情報の洪水でおほ^~~~~~~~~~でした。Mark.10のBGMすごくかっこよかったですね。あれサントラでたらずっと聴きたいです。
あとは二号機と八号機の掌底ATフィールドはTV版第9話「瞬間、心、重ねて」を思い出してニヤニヤした人も多そうです。私はしました。

そしてアスカの第9使徒化ですよ~~~~~!興奮しすぎて鼻血でるかと思いました!エンジェルブラッド注入~~~~~!!!ひえ~~~~~式波シリーズのオリジナルについてもっと知りたいです!!!
このシーンは瞬きする暇もありませんでしたね・・・アスカかっこよかったです。アスカはTVでも旧劇でも破でもQでもシンでもとにかく悲鳴上げてますね、宮村優子氏の芝居最高でした。25年もアスカのままであり続けてくれてありがとうございます。

八号機の喰った分だけ強くなるみたいなシステムはどういうことだったんでしょうね。HUNTER×HUNTERのメルエム。あとでこの部分が解説してある記事を見つけたら読んでおこうと思います。

第13号機、13という数字になにか特別な意味があるからMark.06以降はすっ飛ばして13になっただけかなと思ってたんですけど、その途中のナンバリングも一気に回収してくれましたね。(よく考えればMark.09は登場しているので他の機体もどこかで登場するのが普通だと考えるべきだったのかな!?)

ゲンドウ「セカンドインパクトによる海の浄化、サードによる大地の浄化、そしてフォースによる魂の浄化」
インパクトって世界を浄化させるための手順を踏んでたんだ~なるほど。
恐らくそれまでは「〇〇インパクトにはこういう物が必要で、こういう手段でこうやるんだよ」みたいな決まりがあったと思うんですけど、アディショナルインパクトはそのどれにも該当しないゲンドウのオリジナルのインパクト(アナザーインパクトとか言ってましたっけ?)でした。個人的には黒ヴンダーたちはどこからきたのか(どういう過程で製造・誕生)知りたいですね。

ゲンドウ・シンジどちらが依代となってインパクトを起こすのか、そのための意識争いとして2人がエヴァで喧嘩します。ゲンドウが意識下であのカヲルくんみたいなポーズを取ってたの笑えますが、カヲル=ゲンドウのクローン説を強めることにもなってると思いました。
最初は意識がはっきりしないせいか、素人が作ったCGみたいな動きでチャンバラしてましたね。スタジオが見えてきたときは「そろそろ旧劇みたいに実写で声優登場するか!?」とハラハラしましたよね。庵野監督とかスタッフとか総出でスタジオを囲んで「いけー!シンジがんばれー!」「シンジ負けるなー!」とか応援しだしたら最高傑作になっていたでしょう。
ゲンドウ側の意識も見てみたかった。大学とか、若いころにいた研究室とか、ユイと過ごした思い出の場所とか。

ゲンドウの槍は黒き月を依代に新たに槍を創造できるなら白き月でも同じことができるのかな?などなど、シンエヴァはきれいに終わったって意見も多いですけど、まだまだ謎とか考察できる余地はあるのでそういうところを残しておいて拗らせエヴァヲタクをギャーギャー騒がせてくれる部分を残しておいてくれたことは嬉しいです。BDに設定資料集とかついてきてほしいですね。

ともかく、ヤマト作戦のシーンは単純に映像が素晴らしかったのでエヴァを知らない人にも是非見てもらいたいです。話の内容とか理解しなくていいので。



One Last Kissから考えるシン・エヴァンゲリオン


『初めてのルーヴルはなんてことなかったわ 私だけのモナ・リザとっくに出会ってたから』
『写真は苦手なんだ でもそんなものはいらないわ あなたが焼き付いたまま私の心のプロジェクター』
ここゲンドウ視点っぽさがヤバヤバのヤバ~~~~~~ですわ。ユイは自分のすぐそばにいてくれました。

『寂しくないふりしてた まぁそんなのお互い様か』
『誰かを求めることは 即ち傷つくことだった』

これはどのキャラの視点でもそうだし、エヴァの永遠のテーマだと思います。他者とのつながり、他者への拒絶。ここだけ読むとわたしはアスカが思い浮かびます。上でアスカを結構ボロクソ言っちゃったけど、旧劇でも新劇でもアスカ本当にかわいそうでしたね。

『燃えるようなキスをしよう 忘れたくてもわすれられないほど』
これこれこれ~~~~~~~!!!!!! ここの歌詞は予告映像で流れちゃってたので誰とキスするの!?ってドキドキしてましたけど、、、
シンジとアスカが旧劇のラストシーンの中で対面したシーンで

キターーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!

ってなりましたよね!? ね!?!?
あぁ・・・!あのときはアスカに手をかけてしまったけど、ここでアスカと分かり合えてキスするんだ・・・!!!!!! あら^~~~~~~~~~
マジで身構えましたね!!!!! 結果はまぁアレでしたけど。

そしてこの歌で繰り返される『忘れたくないこと 忘れられない人』。
「エヴァンゲリオンという物語の終わり方」の部分で最後に書きましたが、エヴァンゲリオンとお別れして私がたどり着いたのはこれでした。今まで味わった興奮・感動・楽しさ・悲しみ・怒り・絶望。エヴァは終わってしまうけど、それらを忘れなくていいよの歌だったんじゃないかなと私は解釈して聴いています。皆さんはこの曲、どう思いましたか。



終わりに

読み返してみたら感想文にすらなってないですねこれ。ただ劇中起こったことを書き綴ってるだけでなにを表現したいnoteなのかよく分からない文章になってしまいました。着地点を決めずに書き始めたのが悪いですね。なにも考えずに書きなぐってしまいました。読み返すの面倒なので誤字脱字あったら適宜補完してください、乱筆乱文失礼しました。

予告で何度も「全てに決着をつけるため」というワードを聞きました。
シンジもアスカもマリもミサトもゲンドウもみんな一生懸命戦ってました。
これ、劇中のキャラだけじゃなくて我々視聴者もそうだったなと思います。
『エヴァンゲリオンという作品の集大成を見守りたい』というよりかは、『エヴァンゲリオンという作品から与えられた全てを清算する』とか、
『最後に庵野監督が何を言ってくるのか確かめたい』とか、
『自分の中のエヴァンゲリオンに別れを告げたい』とか、
なんというかエヴァンゲリオンに落とし前つけさせるみたいな感覚だった。
エヴァンゲリオン VS 自分みたいな。挑戦的な感覚?
我ながらキモヲタ拗らせてるなと思いますけど、多分エヴァファンはこういう感覚でシンエヴァを見にいったんじゃないかなと思います。少なくとも『今日は娯楽で映画を楽しんでこよ~』っていう感覚ではなかったですね。

1回目見終わったあとは本当に表面的な部分しか見れてなくてモヤモヤしてたけど、2回目を見て冷静に考えてみたら素晴らしい終わり方をしたという感想に変わりました。ただそれは同時に「本当に終わっちゃったんだ」という虚無感も味わう結果となりました。雑な終わり方だったら「なにこれ!?全然終わってないじゃん!?」ってなって自分の中のエヴァが悪い意味で終わらないままだったんでしょうけど、綺麗に終わったので「本当に終わり」だと。でも今は穏やかな気持ちです。もうエヴァに苦しまなくていいんだって。


ヱヴァンゲリヲン新劇場版シリーズは無事完結を迎えました。同時にこれまでの庵野監督手掛ける全てのエヴァンゲリオンシリーズもきれいさっぱり終わりました。

それでも私はやっぱりいつかエヴァと再会するんだと思います。
ゲンドウ・ユイから離れていったシンジのように、庵野監督の下から離れても監督の意思を受け継いだ人がエヴァに挑戦するはずだと。
エヴァの呪縛から解放されたというのに、またいつかエヴァの呪縛にとらわれるんですかね。それでも私はエヴァに会いたいです。会えると思います。

何故かって?

「さようならはまた会うためのおまじない」
「さようなら、すべてのエヴァンゲリオン」

きっとまた会えるでしょう。



終わり

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