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ここが私の遊び場でした

2015年6月14日にDawnに掲載された、Shiza Malik氏の記事(以下は原文の日本語訳)

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1980年代後半に撮影されたこの写真(左)には、公園の滑り台の当時の姿が写っていますが、現在の荒廃した状態とはかけ離れています。
―写真は記者によるもの

イスラマバードにあるChildren's Playland(通称:ジャパニーズ・パーク)の入り口には、「子どもの遊びは、子どもの最も真剣な行動である」という言葉が刻まれています。

これは、フランスの哲学者モンテーニュの言葉です。モンテーニュは、子供のスポーツやアウトドアの楽しみを軽視してはならないと保護者を戒めています。また、緑のMrgalla Hillsを背景にした、この絵のように美しい公園に捧げるにふさわしい言葉でもあります。

1985年に日本政府が、日本の子供たちからパキスタンの子供たちへの友情の贈り物として造成したこの公園は、20年以上にわたり、双子都市(イスラマバードとラーワルピンディー)の子供たちのお気に入りの場所となっています。

しかし、今日、公園の状態はひどいものです。かつて子供たちが大勢集まってきた日本製の遊具や滑り台、ジャングルジムなどが、今では荒れ果てています。かつてクライミング用のロープが結ばれていた場所には、危険なほどフックや釘が突き出ています。

80年代、90年代に子供たちに大人気だったジャパニーズ・パークは、
今では見る影もありません。

使える滑り台は1台も残っておらず、壊れたチェーンや意味のない半壊した構造物が敷地内に散乱しています。

ブランコなどの設備の不足を補うために、中国製のトランポリンや城形のトランポリン、鮮やかな色の電動の乗り物などが新たに設置され、元々の砂岩色の設備とは対照的になっています。

ここの元々の遊具は、地元では手に入らない特殊な繊維素材で作られていました。

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それぞれに異なる名前が付けられ、子どもたちの想像力を刺激したり、身体的なチャレンジをしたりするようにデザインされています。

モスクを模したものや、大砲の玉がついた海賊船のようなもの。それぞれの遊具の横には、その遊具がどのようなもので、どのような筋肉を鍛えることができるのかを、子どもたちやその保護者たちに理解してもらうための表示があります。

また、それぞれの設備の下には柔らかい砂が敷かれており、子どもたちが転んでも怪我をしないようになっています。

首都に住む多くの人々は、ジャパニーズ・パークで過ごした子供時代を懐かしんでいます。

Mavra Bariさん(25歳)がDawnに語りました。「イスラマバードで育った人にとって、ジャパニーズ・パークは特別な場所です。子供の頃は、とても広大で、まるで魔法にかけられたような場所でした。最近また行ってみて、自分の目を疑いました。公園はとても味気なく、小さく見えました。」

Zainab Kemalさん(28歳)は、子供の頃、イスラマバードのジャパニーズ・パークがお気に入りの場所だったそうです。

「今までに行ったことのないような遊び場でした。ケーブルに滑車が吊り下げられているジップラインが気に入りました。私たちは、インディ・ジョーンズになったつもりで、それにぶら下がって反対側の端まで飛んでいったものです。」と彼女は笑いながら語りました。

「すべての遊具を登ったり滑ったりしているうちに、日が暮れてしまう。1日の長さが足りないくらいでした。」28歳のDanyal Kamalさんは振り返りました。

現在、保護者からは「都会にある他の公園と変わらない」という不満の声が上がっています。

公園を訪れたSameena Hamayunさんは、「子供の頃からこの公園に来ていました。木と花があるだけで、あとは子どもたちができることはほとんどありません。」と言います。

しかし、公園を管理している首都開発局(CDA)のSaeed Mustafain Kazmi氏は、近日中に元の形に復元すると主張しています。

「私たちは、標準以下の地元や中国の材料を使用して、公園の元の外観を復元したくないので、修理を開始するために日本政府と連絡を取っています。」

「日本には、資材の提供を快諾してもらい、契約締結までに約半年を要しました。」と説明しました。

Kazmi氏は、8千万円相当の修復プロジェクトがすぐに実行されるだろうと語りました。

「ブランコなどの多くがカラチ港に到着しており、うまくいけば1ヶ月以内に復旧作業を完了できるだろう」と述べました。


Translated from:
https://www.dawn.com/news/1188118


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