憧れで終わっちゃうこと

ピアスがしたい。

ずっと昔からピアスに憧れていた。

若い人たちにはわからないと思うのだけど、私が中高生の頃というのはまだ今ほどピアスが一般的なアクセサリーではなかった。
「親から貰った体に穴を開けるなんて」
とか言われちゃう時代だったのだ。
心臓手術のために体にメスが入っていて傷がある私からすれば、耳にちびっと開いた穴など大したことはない。
でも痛いのは嫌いで怖いし、好奇心はあれど高校生になった段階ではまだピアスをしたいとは思わなかった。

そんな中、通学制の高校に通っていたときのこと。
ある日友人がピアスを着けて来たときにはたまげた。
「開けちゃった」とにこにこ言う友人が凄いなと思ったし、なんだか格好良かった。
けれども。当時は(今も?)ピアスを着けて登校するのは禁止されていた。おまけに彼女は髪が短い。
とても似合ってるけど…それバレるで。
思った通り、彼女は先生にバレてファーストピアスを外す羽目になってしまい、耳たぶから出血していた。

ああ、ただただ痛そう。

私のピアスとの直接的な出会いはそれで、だから私はピアス=それなりに痛いし出血を伴うこともある、お洒落だけどなかなかハードルの高いアクセサリーであると認識した。
でも高校を卒業したらやってみたいな。なんとなくそう思っていた。

ところがどっこい、私は高2になったばかりの頃に体調を崩して入院、休学を経て高校を中退した。

その頃にはきれいさっぱりピアスのことは忘れていた。
ピアスどころじゃない、とにかく体調が安定することが大切だった。

でも人とは不思議なもので、体調が少し落ち着いてくると気持ちに余裕が生まれるのか、「やってみたかったこと」をふいに思い出したりする。
そのタイミングが、私の場合なぜか二十歳前後の入院期間中だった。
付き添い入院しているお母さんだったと思う、かわいいピアスをしていたのを見て「いいな」と思った。
病院内にいてすっぴんで、それでもささやかなお洒落ができている。
素敵だなと感じた。

「ピアス、私ってできると思います?」
私は親しくなった看護師さんに聞いてみた。
体調が落ち着いて来たとはいえ、その頃の私は全然家に帰れる気配がない状態で、だから先生に質問するのは気が引けた。

看護師さんは唸った。

「ぱきらちゃんがピアス…。できることはできると思うけど…ピアスホールが出来上がるまで抗生剤をしっかり飲まなくちゃいけないと思うなぁ」
「でも使える抗生剤少ないもんね。すごく大変かも」
「点滴で抗生剤使うならもしかしたら入院もあり得るかな…」

…なんだかとっても、大掛かりな話になりそうな空気。
そしてそこまでしてピアスをしたいとは思わない。
先生に聞くまでもない。

「……諦めます」

そして今に至る。

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それからのち、患者会の集まりなどにぼちぼちと参加するようになって驚いた。ピアスしてる子、結構いる!

「先生に相談?しないよ。勝手に開けた」

親しくなった子はそう言っていた。
もちろん私とその子とでは病名や状況が違うので、同じように考えるのは無理がある。それでもなんか…めっちゃ素敵!という気持ちがむくむくと湧いた。

さて、では私も!とピアスを開けようとしたかと言うと、それはしていない。
私の場合、主治医に聞こうが聞くまいが抗生剤は飲まなきゃいけないだろう。でも、飲める抗生剤と言えばあの頃も現在も一種類のみ。
そして抗生剤を飲めばもれなくお腹の調子が悪くなる。
長期間服薬すれば、肝心なときにその抗生剤が効果を発揮しなくなるかもしれないな…などなど、考えれば考えるほど、げんなりした。

ピアスはもういいや。

ピアスでなくても、イヤリングにイヤーカフ、マグネットピアスが世の中にはある。お洒落する方法はいくらでもある。

そう思っていたし、いろいろ試してみた。
でも、なかなかうまく行かない。

私の耳たぶは小さい。
他人と比較する場所でもないので実際はそれほど小さくないのかもしれない。でも、耳たぶとして触れる部分が1cmもない。
福耳の夫が憎らしい。

マグネットピアスはマグネットが合わないのか頭や首が痛くなることが多く、我慢できずに外してしまった。
イヤリングの場合はなんとか耳たぶに着けることができても、長時間イヤリングが耳たぶにしがみついてられずに落下することが多い。
イヤーカフが一番良い感じではあるものの、うまく耳に引っかからずにこれまた落下することが多かった。
どれを着けても「着けてます感」が半端ないのだ。

もう、すんなりピアスしたい。

でもこのまま憧れで終わっちゃうんだろうなぁ。

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ピアスができなくても、生きて行く上で、生活する上でなんの支障もない。
一つ、お洒落の幅が狭くなっただけだ。

ピアスがしたいしたい、したいよぉ、うわーん!
…ってなることもない。
そこまでの執着はない。

でもそういう小さな一つひとつができないことに、小さなため息が出る。

よく、「できないことよりできることに目を向けよう」と耳にすることがある。
本当にその通りだ。できないことを見て泣くのではなく、それでは何ができるのかと考える方が前向きに違いないし、人生も楽しそうだ。

とはいえ、できないものはできない。その事実は消えない。

おそらく、世の中の多くの人がいろんなことを諦めて生きているだろう。
それは生きて行く上で仕方のないことだろうし、みんなが通る道だと思う。
そしてできない種類は人に寄りけりだろう。

だけど障害や疾患がある者は、諦めるものの数が圧倒的に多いのではないだろうか。
それは決して大きなことじゃなくて、ほんの些細なことだったりもする。
そういう小さな諦めが積み重なっていき、諦めることに「慣れて」しまう。
諦め上手になる。

それが辛いとか悲しいとか苦しいとか、もちろんそういう気持ちはあるけれど、そうじゃなくて、ただため息が出るのだ。

そっか、これも無理か。
そんな風に。

そして静かに諦める。

疾患や障害のある人が、その人なりに生きていく裏では多くの小さな諦めがあることを知ってもらえたら嬉しい。

今回のこの記事を書くにあたって、久しぶりにイヤリングやイヤーカフを引っ張り出して来た。
そして着けまくっている。
案の定時間が経てば落ちてしまうのだけれど、なんていうか…これ、かなり楽しいぞ。

通販サイトで「イヤリング」「イヤーカフ」と検索すると出るわ出るわ、こんなにあるのね。しかも種類も豊富じゃないの。私の持ってるのは相当古いタイプなのかも。
もしかして私でもできそうなの、あるんじゃない?

これはしばらく楽しめそう。
かわいいのがあったら買ってみようかな。

ピアスはいつまでも憧れのままだけど、お洒落は他でもできるよね。

…前向きでしょ?笑

あまり本を読んで来なかった私、いただいたサポートで本を購入し、新しい世界の扉を開けたらと考えています。どうぞよろしくお願いします!