見出し画像

石神井の湧き水

 講談社学術文庫が発行している「江戸近郊道しるべ」を読んだ。徳川家の御三家のひとつ、清水徳川家の幕臣・村尾嘉陵(1760-1841)が著した、通称「江戸近郊道しるべ」の現代語訳である。江戸の町や風俗ではなく、あえて周辺の土地を巡り歩いている点が面白い。

 石神井について触れた箇所に、「この池の水はどんな日照り続きでも涸れることがない。時として水が水底から湧き上がることがあるという。」との文章がある。少しとばして「まさに神が住むにふさわしい所といえる。」と続き、かなりベタ褒めだ。
 しかしながら、最近の石神井においては、涸れぬはずの池の水位が下がっている。少なくとも昨年11月の終わり、三宝寺池側の「水辺観察園」をかいぼりした時も、すでに三宝寺池やひょうたん池の水が減っていて、ひょうたん池はすでに底が見えた。駆除の対象であったアメリカザリガニもこれでは棲めないだろう。
 昨年の紅葉はもう一つ映えなかった。最近、撮影場所を探している和服姿の若者の姿を見かけるが、彼ら彼女らも、池の様子に拍子抜けしたのではないか。公園には天然記念物に指定されるような貴重な植物があって、そちらの方も心配である。

涸れて底が見える

 原因は地下水を汲み上げる井戸ポンプの不具合だ。少し前から工事のスケジュールが出ていて、二月の終わりには始まるらしい。
 石神井公園では昭和30年代後半から湧水が枯渇し、池は深井戸から水を供給している。湧水減少は宅地造成により周辺の市街化が進んだことが原因のようだ。
 一度、石神井川の源流を探しに小平市・花小金井まで向かったことがあった。「川」といっても上流の方はほとんど涸れていてる。あちこち固めた後に、池の部分だけこんこんと水があふれるというのは難しい気がする。
 管理する側から見れば当たり前の事実だろうが、池の水が減ったのを見ると、タネ明かしをされたようでやるせない。「武蔵野の自然」なるものが、今では人の手に支えられていることをあらためて思い知らされる。

修理を待つ井戸ポンプ

 石神井公園内では、池の畔に向かって地形が崖のように下っていくのだが、夏の間は緑が深く、水面はよく見下ろせない。
 石神井城址に向かって三宝寺橋を渡り、坂を少し上がった平らな部分に、かつて料亭「豊島館」と旅館「武蔵野館」という建物があった。開業は1917年。武蔵野館は「石神井ホテル」と改称し、ここには音楽家や文士たちが居住、宿泊をし、文化の華を咲かせている。
 建物はその後時代の波に翻弄され、老朽化により取り壊されたのは70年代も終わり頃のようだ。跡地を歩いてみても、当時をしのばせるものはほとんどない。
 この先に「美晴亭」という茶店があって、檀一雄が太宰治と酒を酌み交わした際の思い出話を書いている。事件というほどのことも起こっていないのだけれど、せっかくだから、案内のプレートぐらいあって欲しい。
 この辺りは散歩道になっていて、ベンチも置かれている。冬場は木々の葉がまばらになっているため、一応、隙間から池を見下ろせる。水が減っている様子も、ここからはそこまではっきりとは分からない。

冬ならではの景色

「江戸近郊道しるべ」では、移動や輸送手段として頻繁に馬が出てくるし、時代背景が一変している部分はあるものの、三宝寺池の水面を水鳥が行き交う様子など、当時の面影は残っている。
 石神井を「都会の尾瀬」と例える人もいて、今の涸れ気味の三宝寺池を見ていると言い過ぎだとは思うけれど、本来は水と緑のコントラストが素晴らしい。工事はしばらくかかるようだが、春には間に合って欲しい。

2月、梅の花が咲く


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?