見出し画像

石神井で「西荻さんぽ」を読む

 気になっていた「西荻さんぽ」(絵と文 目黒雅也・亜紀書房)を読み終わった。「西荻」は西荻窪の略称で、JRの荻窪駅と吉祥寺駅の間に駅がある。土日は中央線が停まらない。地元で生まれ育った作者は、西荻が沿線の阿佐ヶ谷や高円寺よりも知名度が低いと考えている。テレビで特集が組まれるほどで、石神井に比べればずっと注目されていると思うが、駅周辺の飲み屋街や裏路地の個人商店を愛情深く描写され、面白かった。

 石神井から西荻へは、上石神井駅からバスも出ているが、自転車でも三十分ほどしかかからない。住所は練馬区から杉並区へと変わるが、ご近所と言っていいだろう。
 西荻窪駅の南口には酒場街が形成されている。賑わいのあるこのエリアは終戦後の闇市に由来するそうだ。もちろん未体験だが、同じような出自を持つ盛り場は多いらしい。空き地にバラックを立てたような、狭い間口と奥行きのない店が建ち並ぶ様子は独特である。
「戎」はこのあたりで有名な居酒屋だが、昔は「女人禁制」だったとのこと。今はもちろん女性客もいて、串焼きやビールを楽しんでいる。混んで順番待ちのことも多い。自分が頼むのは名物の「イワシコロッケ」とスペインワインだ。
 石神井で西荻ほど徹底した界隈は思い当たらないが、狭い路地に飲食店が集中する盛り場はどこも人気で、最近は若い人でにぎわう。開放的でありながら肩を寄せ合うような雰囲気が好まれるのだろう。

西荻窪南口の酒場街

 著書の目黒雅也さんはイラストレーターなので、「西荻さんぽ」では、店や料理の解説にふんだんにイラストが使われている。可愛らしいトーンとあいまって、喫茶店や洋菓子店、エスニック料理店など、どこも素敵な場所に見える。
 本によると、西荻は一部で「日本のパリ」と呼ばれているらしい。カオスな高円寺は「日本のインド」になるそうだ。西荻はアンティークショップや雑貨店の店も多く、ペルシア絨毯の販売店などもある。盛り場の猥雑さとは別の磁力だ。「日本のパリ」であるかは、少し脇に置いておくとしても、いろいろと「おしゃれだなぁ」と思う。
 ローカルな雰囲気を語られてきた石神井公園駅付近だが、幾度も工事があって、味わい的に厳しくなってきた。商業地域でもないし、学生街もないから、基本的にはファミリー層がターゲットだが、昔風とは異なる店舗も出てきて、街に新しい彩を与えている。

 石神井公園池南口から、商店街を抜け、西に向かったところにあるのが「来久三堂」(きくみどう)だ。「清心幼稚園」の前で、工事をしていれば分かったものだけれど、もとの家を改築され、そのまま一軒家カフェとされたのかもしれない。調べてみると2022年のオープンであった。
 第一印象は、「へ~、こんなところに」だ。メニューは台湾のお茶や食事で、飲み物を注文するとテーブルにはお茶セットが置かれる。健康的なおしゃれなフード。今風な言葉でいえば「映え」もする。商店街からは距離があるが、隠れ家風なのもいい。
 来久三堂は公園が近いので、散策と合わせるといいだろう。池の畔は店が少ないし、こんなところがもっとあってもいいのに。

魯肉飯パン(中華コロネパン)

 西荻なみに(?)おしゃれだと思うお店をもう一軒。場所の説明が難しいが、西武新宿線・上井草駅から北に歩いた下石神井に「想像の雨」という名のカフェがある。細い通りに面し、少し行った先にバス通りがあるものの、住宅街の中だ。
 想像の雨も、オープンは2022年で、コロナが落ち着きを見せ始めた時期だ。ここも初めて入った時に、「へ~、こんなところに」と思った。ミニマムにしてこだわった内装で、カウンターとテーブルが数席。そのカウンターには書籍がいくつか積んである。店内はジャズが流れ、家族連れが多い石神井にあって、若い女性の姿が目立つ。文学的な店名も何だか中央線っぽい。
 通りの先には、以前、東京藝術大学の学生寮があった。当時開いていたら重宝されたかもしれない。学生寮はずいぶん前に取り壊され、今は大きな公園と隣接して老人ホームがある。

「想像の雨」テーブルにて

「西荻さんぽ」が発行されたのは2023年。当時の閉店や移店は本でも触れられているが、コロナ禍もあって、ここ数年どの街も大なり小なり変化を余儀なくされてきた。それとは別に、建物の老朽化や後継者問題は直接的な課題だろう。
 のどかだった石神井は再開発で行く末が怪しい。土日の混み具合を見る限り、マイナーからメジャーにいたる過程で、西荻の方には昔の文化を維持する難しさがあるのではないか。
 新陳代謝はいつの時代でも大切だが、やり方を間違えると「都内はどこも同じ街ばっかり」となりかねず、いろんな声がありそうだ。多層性こそ文化の魅力だと思うけれど、どうか。

善福寺公園も西荻の一角


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?