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石神井「路上観察」

 しばらく前から赤瀬川原平の写真集「香港頭上観察」を探している。1997年発売(中国返還の年)ということだから、新品で探すのは難しそうだ。赤瀬川源平の本は「ちくま文庫」に並んでいるのを見てきたが、先日、書店にいったところ、ずいぶん減っている。「超芸術トマソン」も荻窪の古書店で購入した。
「トマソン」とは、用途不明の階段や、正体不明のコンクリート柱などの愛称で、トマソンや看板などを観察する「路上観察学会」なるものまで創設されている。活動は八十年代、九十年代が中心だったようだが、ヘンなものを発見する街歩きの楽しみ方を提示くれたことは間違いない。

 石神井川沿いを南田中の方に歩いていくと、「ハト」という交通標識がある。幅員減少標識の「ハ」と、ト形道路交差点標識・合流交通あり標識の「ト」が縦に並んだ見事なハトだ。条件が揃わないと成立しない。これといって特徴もない通りなので、さすがに自分だけの発見だろうと思っていたが、熱心なマニアには調べがついており、都内各所に何か所かあるそうだ。

近くには「エサやり自粛」の掲示が

 石神井川沿いを歩いていると、住宅と住宅の間の細い道がうっすらと水色に塗られているのを見かける。すっかり剥げているところも多く、長年、謎であったが、これは「水路敷」といって用水路や川の跡らしい。水路の管理維持に必要なスペースのようだが、であればペイント具合がまちまちなのが不思議で。これで公共の用がなせるのか不思議に思う。練馬区といったら緑色の印象だが、暗渠ファンにとっては水色のイメージかもしれない。

すぱっと、なぜか「路」の文字だけ

 スナフキンは「ムーミン」の人気のキャラクターだが、彼が嫌悪するものの一つは「禁止」である。石神井公園内は「禁止」看板に事欠かない。生き物や植物を園内に放すことは、生物多様性保全の目的で禁止されている。場所によっては可能だが、「つり禁止」の表示はところどころにあって、スナフキンには噴飯ものであろう。
 
 石神井公園通りから公園内、石神井池(ボート池)に入ったあたり、ボート乗り場に向かう小道のところにも、禁止の看板がいくつも立っている。「警告!道路上の屋台の出店は許可しておりません。通行の妨げにもなりますので、発見次第、警察に通報します。」
 文言も穏やかでないが、この徹底ぶりを理解するには、この辺りには以前、屋台が出ていたことを知って欲しい。子どもたちや公園に散策に来た人たちが並んでいた様子は覚えている。自分は買ったことはなかったが、チョコバナナ的な、いわゆる縁日で売られていたものだったと思う。
 屋台はいつの間にか姿を消した。正確な理由は分からない。看板の日付は「令和3年6月」となっているが、もう少し前からの気もする。
 土日ぐらい屋台の許可がおりてもいいのではないか。近くの道路が広くなり、いくつかお店も無くなったせいか、ここらは人の気配が後退したように感じられる。いっそキッチンカーでも停まってくれると、新しい風景が広がりそうだ。

「警告」の文字が激しい

 赤瀬川源平の「超芸術トマソン」では、街中で発見した謎の物体は、出所についてはいったん考察するものの、モノとしての美しさをたたえ、「超芸術」と称賛する方向に軸足を置いている。正体不明は正体不明のままとした場合も多い。
 石神井公園を三宝寺池側に入り、三宝寺橋を渡り、少し上がったところには、料亭「豊島館」と、後に「石神井ホテル」に改称される「武蔵野館」という旅館があった。さらに進むと「美晴亭」という茶店があって、この辺りで檀一雄と太宰治が酒を飲んで興じている(参考:檀一雄「小説 太宰治」)。
 いずれの建物もすでになく、草木が生い茂り、公園の中でも特にひっそりした散歩道だ。夕暮れ時などはかなりさびしい。注意して下を向いていると、地面からコンクリートの物体が顔をのぞかせていることに気づくだろう。これは当時あった建物の礎石だそうだ。
 礎石は穴の部分に落ち葉がたまり見分けにくい。ここは路上でもないし、「不動産に付着していて美しく保存されている無用の長物」(「超芸術トマソン」)の定義にあたるかはさておくが、当時の様子を知るほぼ唯一のよすがになっている。

在りし日の名残りか


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