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石神井に「農園レストラン」があると

 西武池袋線・石神井公園駅南口の近く、建物の三階に「久保田食堂」という、人気のイタリア料理店がある。メニューに「石神井の旬野菜」のことばがあるとつい選びたくなるが、その日も頼むことにした。
 2022年1月増刊の「東京人 石神井界隈を楽しむ本」には、オーナーシェフの久保田孝一さんのインタビュー記事が載っている。店の前に庭のある、いわゆる「農園レストラン」で働いた経歴をお持ちで、今も積極的に地元の野菜を使われているそうだ。

「久保田食堂」のパスタ

  練馬区土木部公園緑地課が発行した「みどりと水の練馬」の中に「土地利用変遷図」が織り込まれている。年代順に「明治20年頃」「昭和12年頃」「昭和60年頃」の地図の上に「山林・原野」「畑地」「水田」「河川・池沼」「集落・市街地」が色分けされていて、大変分かりやすい。
 西暦に直すと「1887年」「1937年」「1985年」になるわけだが、畑に点々と家々があったところに、集落・市街地の中にぽつぽつと畑が残る具合へと逆転が起こっている。減少度合いは怖いぐらいだ。
 冊子の発行が平成3年(1991年)3月なので、令和の今ではどうなっていることか。自分の感覚では、コロナがいったん収まったあたりから、一段と畑が減っている気がする。時計の針は戻せそうもない。

「みどりと水の練馬」によると、「純農村」だった練馬がまちへと変貌するきっかけは、大正十二年(1923年)の関東大震災である。練馬自体の被害は都市部ほどではなかったものの、都市部から人々が移動し、近郊も市街地化していった。
 そもそも多くなかった水田も、1974年を最後に練馬区から完全に姿を消してしまったそうだ。昨今のコメ不足は報道の通りだが、地元に田んぼがないのでは、他所にすがるしかない。
 石神井氷川神社の境内で稲を育てている。五月のイベント「井のいち」で見た稲は、九月には見事に伸びていた。農業とは別の話だけれど、日本人にはほっとする景色だ。

石神井氷川神社の稲の様子

 石神井から少し離れたところに「みやもとファーム」が経営する農家カフェがある。住所は高松で、光が丘の南西部。光が丘公園は「成増陸軍飛行場」の跡地が使われているが、住民からは「高松飛行場」と呼ばれていたそうだ。
 少し前、古いバックを整理している時、みやもとファームの焼肉レストランの名刺が出てきた。当時の上司が同じ練馬に住んでいて、定年後、畑を借りていたのだが、収穫を手伝った後、連れて来てもらったのがこの店だ。二十年以上も前のことだが、ずっと気になっていた。2018年9月末日を持って閉店したらしい。

 現在開かれている農家カフェの方も、大変素敵な場所だ。ホームページによると、江戸時代に建てられた建物を改築したというカフェで、中は広々としている。ガラス越しに畑があって、ひらひらと蝶々が飛んでいるのが見えた。
 収穫された果実を使ったジェラートを飲んだ。他にコーヒーと季節のジュースがあったが、体験農場で汗を流した後は最高だろうな、と思う。オープン日は土・日・祝が基本のようなのでご注意を。

中は大変広い。快適

「農園レストラン」、「農家レストラン」。名前に違いがあるか分からないが、新鮮な野菜と郊外に出かけたような気分が近場で味わえるとなれば、普段でも行ってみたい。一方、先に書いたようにどこも畑の数が減っている。
 練馬の学校では、大根を使った「練馬スパゲッティ」なるものがあるが、これは「食育」の一環だろう。久保田食堂に限らず、石神井では旬の練馬野菜を使っている店は多い。外食の際の楽しみのひとつだが、肝心の畑が消えていくのであれば、どうしようもない。
「じゃあ、お前が畑を買ってやってみろ」と言われても、農作業と飲食の両方のノウハウが必要なわけで、人手も多くかかるし、みやもとファームの貴重さがあらためて分かる。いつか畑仕事をやってみたいという人はいるはずだが、需要と供給、夢と現実はなかなか一致しない。

「丸嶋」の「練馬せいろ」。大根でそばが見えないほど


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