”あかし”

※ガキの戯言だと思って楽しんでください。

僕は絶対にタバコを吸うことはないだろうと思っていました。製造者には申し訳ありませんが、得体のしれない草を紙で包んだだけで500円もするものを自らの意思で買おうなんて考えたこともありませんでした。ただ、二十歳になってから、何かしら大人の真似事をしようとも思っていました。それはお酒を飲むでもいいし、自分の力でお金を稼ぐでもいいし、そこに喫煙が選択肢になかっただけで何でもよかったのです。

高校を卒業して、18歳になり、大学に進学しました。自動車教習所に通いながら群馬から埼玉の大学に通うという生活リズムに慣れてきた頃に、アルバイトを始めました。群馬県にある実家の近くのコンビニでした。生まれて初めてお金を稼ぐという行為に身を任せることになりました。近くには工場があり、団地があり、工場の独身寮があり、少し離れて駅がある。そんな場所です。当然田舎の工場地域にあるので、色々な人が来店します。態度のでかいおっさん、ギャル風の主婦、ガテン系の怖いお兄ちゃん、フレンドリーなバングラデシュ人、大量のホットスナックを買う中国人、ヤクザ崩れ、文句の多いおじいさん。本当にドリフよりも濃いメンバーがそろっていました。目が細くてまあまあガタイがよくて、声の小さい上に敬語がへたくそな僕はよくクレームの的になっていました。

今まで大人を信頼して、導かれてきたように人生を歩んでいた僕は大人によって傷つけられました。それが社会に出るということだということはわかっていたのですが、なぜそんなものが社会と言われてしまうのかということに疑問を持ってしまった僕はさらに深く傷つきます。その時はかなり忙しかった気がします。教習所、課題、無理なシフト、県をまたぐ移動のための早起き。ぬるま湯に浸かってきた僕はかなり疲れていました。だからこそ、タバコに手を出してしまったのだと思います。

私がタバコを吸うのは、社会に対する反抗の”あかし”なのです。決して大人の真似事なんかじゃない。0時のバイト終わり、深い夜に囲まれ、その中にちりばめられた星々を眺めます。その中で、口に咥え、火をつけて、瞼をゆっくり閉じます。同じように煙を口に含み、肺へと送り、自分の中身が空っぽになるくらいまで吐き出します。そして目を開ける。それこそが”あかし”。僕が社会という流れに抗っているという、確かなもの。くゆらせる煙は狼煙なのです。僕の居場所を、座標を、僕がそこにいるということを証明していました。それは風刺でも比喩的なものでもなく、現実的に僕の中に宿っていて、右手に示されていました。

そのはずでした。

しかし、タバコというのは恐ろしいものです。中毒性は僕を蝕み、感覚を麻痺させ、思想を変えてしまいます。社会の荒波の中でゆらゆらと漂わせていた”あかし”は、いつの間にか習慣になっていたのです。特別性が失われたそれに効力はありません。なんの証明もしてくれません。僕の居場所はわからなくなりました。”あかし”としてではなく、それ自体として求めるようになっていたのです。でも、僕は努力できないし、精神も惰弱だし、何事からも逃げてきた人間です。タバコが反社会的な思想を密かに証明するための効力を失っている事実にさえ、目を逸らしてしまいます。


そんな僕も、現在就職活動中です。社会という具体的な事実に面と向かわなくてはなりません。それはとても容易ではないことです。ただ流れに抗うこととは次元の違うことになるでしょう。如何に抽象的な”あかし”を力の限り振りかざしたとしても、到底かないません。ましてやそれに効力なんて無いのです。だから、辞めることにしました。捨てることにしました。「こんなもの!!」という具合に、思いっきり投げ捨ててやりました。


「今まで僕の座標を示し、ともに反抗してきた友よ。ありがとう。そしてさようなら。これからは、きみがいなくとも自分で自分を証明し、自分が”あかし”になっていくしかないんだ」「平気か?少なくとも、お前は俺を吸わず求めず吐き出さずに生きてこなかった日は、俺を”あかし”と決めた日から1日だって途絶えてこなかったじゃないか。それがなにを偉そうに決別を口にできようか」「おこがましいことは百も承知で口にしてる。だからこそ無理をしなければいけないんだ。無理にでも離れなければいけないと思ったんんだ」「お前はこれからも俺を求める」「わかってる」「つらいことも?」「うん」「なのに?」「うん」「お前は弱いから、またすぐに戻ってくる」「つらいことも、きみに渇くことも、僕が弱いことは変わりのない事実だ。でも、またすぐに戻ってくるということについてだけ言えば可能性の話だ。まだどうとでもなるし、そうするつもりはない」「口だけは達者だが、それは否定できない。だけど、それを証明するのはお前自身だ。それは苦行だ。今までにないほどに歯を食いしばって、耐え忍ばなければいけない」「それもわかってる」「本当に?」「...うん」


こうして僕は2か月前にタバコを辞めました。実際にこうした対話がタバコとの間にあったのかと聞かれると、そうであるとも、そうでないとも言えます。だってそれは肯定も否定もできない抽象的なもので、可能性のことだから。でも、僕がタバコを愛し、そして辞めたという事実に付随している物語でもあります。そのうえで肯定するか否定するかを決めるのは、僕ではなくて他者です。それだけが重要なことで、それ以外は些細なことです。僕はずっとタバコに感謝すると思います。タバコは、多感なままに新たな環境に飛び込んだことをつらいと感じていた僕と一緒にいてくれました。今までずっと一緒にいてくれました。

さらば、友よ。

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