かっこいいオンナ
「かっこいいオンナでいたいよね」
会話のなかで、友人が言った言葉。
「カッコイイオンナデイタイ」
知らぬ外国語のようにカタコトでつぶやいた。
言葉の意味を理解するのに、少し時間がかかった。
【かっこいい】もそうだし、【いたい・ありたい(Be)】という言葉。
のちに人生の転機と呼べる時期には、この言葉を自分のなかで反芻していた。
ここにきて、今、クリティカルヒット!
それくらい、その言葉を使っていなかった。
完全に、頭のなかから消し去っていた。
最後にそれを使ったのは、いつだっただろう。
東京での結婚生活に終止符をうち、田舎へ移住して生活をはじめたばかりのあの頃。半年ぶりに、元ダンナに娘を会わせに東京へ行った。そして、自宅へ帰る日の、ホテルから空港へ向かう朝。
父親と一緒にいられないことを悟って、大泣きしている娘の手を握って歩いた、あの瞬間だ。
場所も鮮明に思い出せる。高架下のトンネルを歩いていた時だった。
泣いている娘の姿を見て、とても悲しくなった。
胸が張り裂けそうになった。
泣きたくなった。
娘のこんな姿を見るなら、離婚しなければよかった。
離婚という選択を、後悔してしまいたくなった。
それと同時に、夫と娘と3人で暮らしたあの場所には戻れない自分が強く存在してることにも気づき、絶望した。
私自身、そのことにとても傷ついていたんだと思う。
娘にかける言葉が見つからない。
でも、ごめんね。だけは、絶対に言わない。
これはママにとって一番ベストな選択だったの。と、言い続けよう。
今が一番いい!って、言えるように生きていこう。
そうやって生きていく背中を、娘に見せていこう。
「かっこいい女でいよう」って思った。
トンネルの暗さに心細くなりながらも、遠くに見える明るい出口を見据えて、娘の手を握って歩いた。
そこからは、仕事に、子育てと、新しい環境に慣れながら、日々の生活をしていくのに必死だった。
気づけば、この生活になって、3年目を迎えている。
4歳だった娘は、6歳の誕生日を迎えた。
相変わらず、あっという間にすぎていく、そんな毎日だけど、
「かっこいいオンナ」という言葉がクリティカルヒットした私だから、
これからの自分のことを振り返る余裕が出てきたのかもしれない。
自分はどうありたいか?
地に足をつけて毎日を過ごすことも大切だけど、
こうして今の自分を少し離れた場所から見ることは、日々の生活に潤いをもたせることにつながっている。なによりも、今、ワタシがそうした"潤い”を求めている。
かっこいいオンナでいたい。
かっこいいって、どういう人なのか。
かっこいいという言葉を聞いて、頭のなかで描くイメージは、人それぞれ違う。
考えてみた。
私自身のなかにある「かっこいい」も、きっと大きな根っこの部分は変わらない。けれど、2年前にイメージしたものよりも、今の方がより鮮明になっているように感じる。
「かっこいいオンナでいる」
忘れていたんじゃなくて、いつも自分の深い部分にそれはずっといてくれた。そして、ゆっくりだけど着実に、そこへ向かって歩いてきた。
その事実に、安心するし、励まされる。
あの時の娘をぎゅーっと抱きしめて、あの時の私自身も抱きしめよう。もうすぐ起きてくる娘をぎゅーっと抱きしめて、ありがとうって言おう。
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